今までやってきたスケボーと全然違う
大会で成績を残すにつれて、やがて草木はパリオリンピックの代表候補の1人と目されるようになっていった。周囲の期待も高まる。その中でオリンピック出場権のかかるランキング対象大会にも派遣され、23年10月、ローマで開催された世界選手権では2位と表彰台に上がった。
一方で葛藤も生じていった。
「今までやってきたスケボーと全然違うスケボーをやっているイメージでした」
自分が望むトリックを組み入れ、理想とする滑りを表現したい、追い求めたいという思いがある一方、結果を優先した滑りも必要とされる。
「なんで大会だけのために練習しているんだろうと思ったこともあったし、自分のやりたいことがある一方で、結果も求められるから、スケボー好きなのになんでこんな嫌いなことをやっているんだろう、やりたくないと思ったときもありました」
今年3月のドバイの大会では16位に終わり、5月の上海では9位にとどまった。
「ドバイぐらいから気持ちはダウンしていて、上海も言い方はほんとうに悪いんですけどクソみたいな結果で終わっちゃって。自分の出したいことも出せずに、何のために練習してきたんだろうってすごい自分を責めていました」
折り合いをつけられたのは、上海から帰ってからの時間にあった。
「帰ってきてみんなに会って、新しくスポンサーについていただいたスターツさんにも会いました。すごい私のことを応援してくれているんですけど、オリンピックに出るための応援じゃなく、私が楽しんでスケボーできるために応援しているんだよ、と言ってくれました。スケボー楽しんでもいいんだというか、スケボー楽しんでできるんだって後押しをしてくれて、自分の中で気持ちが固まって、上海とは全然違う気持ちでブダペストに挑めました」
迎えたブダペストの前の心境をこう語る。
「やっぱりオリンピックを目指してきていたところではありましたし、周りの人からオリンピックというワードをすごい言われて、緊張もありました。でも、『最後の大会なんだから楽しんで終わろう』と気持ちのシフトチェンジがほんとうにできて、オリンピックに出なきゃというより楽しもうと考えられました」
おのずと予選、準決勝、決勝への向かい方も上海とは異なっていた。
「上海は『準決勝に上がれれば』『決勝に上がれたら』という気持ちでやっていましたが、ブタペストは全部同じでした」
貫いたのは「自分がやりたいことをやる」こと。それが体現されたのは決勝の3本目。上海では出さずに準決勝敗退に終わった「540」をメイク(成功)するなどして89・60点をマークし5位。草木の原点に立ち返り、大舞台への切符を手にした。