鑑賞者を魅了するあたたかな線描

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック 《ディヴァン・ジャポネ》 1893年  80.8×60.8cm リトグラフ The Firos Collection

 ロートレックが描く人物画の魅力は、なんといっても親密で生き生きとした線。幼少の頃からロートレックは線描の素質に恵まれていたというが、それよりも大きいのは生き方だろう。ロートレックが好んで描いたダンサーや歌手、娼婦たちは、いわば日陰の存在。売れっ子とはいえ、夜の世界で働く人たちは世間から差別的な目で見られていた。

 そんな世界にロートレックは全身ずぶ濡れになるくらい、全力で飛び込んだ。娼館に部屋を借り、酒と女に明け暮れた。ロートレックを生涯跡継ぎと認めなかった父親への反発や、足の骨折が原因で152cmしかなかった容姿への揶揄に対する反感もあったのだろう。ロートレックは夜の世界で働く人たちに共感し、心を許し合い、フラットな関係を築き上げた。

 ロートレックはそうしたモデルたちをそのまま正確に描いたわけではない。効果的な誇張や省略によって、人物の本質を描き出そうとした。だからロートレックの絵には個性や特徴が強調されている。たとえ顔が似ていなくても、「この足の上げ方はジャヌね」などと、ダンサーの名を特定できたという。

 

ロートレックが愛される理由

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック 《ポニーのフィリベール》 1898年 56.0×36.0cm リトグラフ The Firos Collection

 本展ではロートレックの代名詞といえるポスターやリトグラフに加えて、素描作品をまとめて鑑賞することができる。版画とは異なり、直筆の“1点もの”である素描は、ロートレックが何を見て、何を感じたのかをダイレクトに知ることができる。ロートレックの本質を探るのに、これ以上ないマテリアルといえる。

 ロートレックはアルコール中毒と梅毒が悪化し、36歳で亡くなった。最後の言葉は父親に向けた「Le vieux con!(馬鹿な年寄りめ!)」という言葉だった。

 いま、ロートレックが愛されている理由は何か。ロートレックの作品には、媚びも、忖度も、あざとさもない。上からでも、下からでもない。自分の命を削りながら、自分の体で経験したものをフラットな心で描いたからだ。