文=難波里奈 撮影=平石順一

カウンターを彩る季節の花

パワフルで情熱的な、奥深い魅力

 今まで話を伺ってきたどの純喫茶の店主たちにも言えるが、何事にも好奇心旺盛で、喫茶業を営むうえで必要なことには時間を惜しまない、研究熱心で魅力的な人が多い。

 新緑の眩しいこの季節にはいっそう美しさが増す井の頭公園。そこへ向かう途中のビルにあるのは、「武蔵野珈琲店」。2階へ上がって扉を開けると、視界に飛び込んでくる活けられた季節の花。その奥で、珈琲を淹れているのが店主の上山雅敏さんだ。上山さんは一見すると穏やかで飄々とした空気を纏っているが、実はパワフルで情熱的な、奥深い魅力を秘めている方だった。

上山雅敏さん

 高校を卒業した後、アルバイトとしてイタリア料理店やフランス料理店で働き、レストラン勤務時代にトンカツ屋への勤務を命じられたり、縁があって飛田給の「やわらぎ」という喫茶店を任されたりもした。

ネルドリップにより丁寧に淹れられる

 そうしているうちに、今も六本木にある名店「カファブンナ」で開かれたパーティーのケータリングを担当するように。そこで出会った原宿の「カフェ・アンセーニュ・ダングル」の創業者である林氏を通じて、神保町の「トロワバグ」の先代と知り合い、今は無き銀座の「トロワボヌール」で働くことになった。「銀座で働いたことによって、さまざまな人と出会い、たくさんの貴重な経験をした」、という。

【六本木・カファブンナ】変化の激しい街で半世紀、音楽を愛する店主の淹れるオールドビーンズの珈琲を楽しむ|純喫茶と珈琲(第17回)

開店以来変わらないオリジナルブレンド。マンデリン、ブラジル、コロンビアなど7種類の豆を使用

 ちなみに、「トロワバグ」の初代店長は上山さんで、店内に飾る花を独学で活けたりもしていた。ところが、常連客である華道の先生に、せっかく飾った花をなおされてしまう。それがとても悔しく、そこから気になったことは何でも勉強し、自分のものとして吸収していくようになったんだ、と笑う。

「楽しいことを仕事にしたい」が上山さんのモットーで、若い頃には半年かけて日本を一周し、働く場所を転々としていたことも。聞かせてくれたその土地土地でのエピソードはどれも愉快で、小説や映画になってもおかしくないほど興味深いものばかりだった。

カウンターと壁際、窓側とそれぞれの空間を楽しむことができる店内

 上山さんの好きな言葉に、中国の茶聖と呼ばれる唐時代の茶人・陸羽の『自然と親しみ、友と語らい、茶を楽しむ。是、すなわち人生最良の法なり』という言葉がある。親しい人と連れ添って公園でひなたぼっこをする前に立ち寄りたい場所である武蔵野珈琲店は、その言葉を体現しているといってもいい。長く働いていたトロワバグが地下にあったことから、いつか自分の店を作るときは光が入る空間を!と考え、現在の場所を選んだのだとか。

陽光を楽しめる窓際は人気席

 チーズケーキとガトーショコラは奥さまが、大人気のプリン、レアチーズ、フィナンシェは上山さんが作っている。「食べることが好き」という上山さんのもとには、自然と美味しいものが集まってくるそうで、お眼鏡にかなえば、スタッフたちが作るものもメニューに並ぶ。

大人気のプリンは売り切れてしまうことも

 松樹新平氏が手掛けてきた店を参考にした内装から想像して、勝手にコクテール堂の珈琲豆だと長年思い込んでいたが、諸事情によりそうではなく、オリジナルブレンドを使用している。

チョコの甘味とさくらんぼの酸味がちょうどいい、さくらんぼのケーキ

 上山さんと話していると、人生において自分の心をときめかせることがいかに大事かを改めて感じる。そういう積み重ねが店内に生き生きとした空気を生み、淹れる珈琲に味わいを増し、日々やってくる人たちを惹きつけるのだ。その証拠に、2階という立地ににも関わらず、開店時間から閉店時間まで、客足が途切れることのない状態を保ち続けている。

「珈琲店」ながら紅茶も豊富なのが嬉しい。上山さん自信作という「マスターズティー」は3種類の茶葉をブレンド

 カウンター席が空いていたらそこに腰掛けて上山さんと話をしてみてほしい。吉祥寺の美味しいもの、素敵なお店を知れる、いつもと違ったとびきりの喫茶時間を過ごせるかもしれない。