文=酒井政人
石田は最初で最後の関東インカレで大幅ベスト
今年の関東インカレは4年生の情熱がほとばしった。なかでも気迫を感じたのが、高校時代に注目を浴びた逸材。5000m元高校記録保持者の石田洸介(東洋大)と全国高校駅伝1区で区間賞を獲得した鶴川正也(青学大)だ。
石田は初日の男子1部10000mに出場。ケニア人留学生が抜け出した後は日本人集団を果敢に引っ張った。「記録は考えず、とにかく攻めて、攻めて、走りました」。ラスト勝負で順位を落としたが、日本人4番となる6位(28分08秒29)でフィニッシュ。高校3年時にマークした自己ベスト(28分37秒50)を30秒近くも塗り替えた。
「最後は2人にかわされたんですけど、いま出せる自分の力は出し切れたかなと思います。小林(亮太)とW入賞できたのも大きかったですね。自分が集団を引っ張る場面が多かったんですけど、そのなかで(他の選手を)振り落とすことができたのは力がついた証拠かなと思います」
レースを終えた石田は充実の表情で汗を拭った。
福岡・浅川中時代に3000mで8分17秒84の中学記録(当時)、群馬・東農大二高時代は5000mで13分34秒74の高校記録(当時)を打ち立てるなど、石田は間違いなく世代のトップランナーだった。
しかし、大学では苦悩の日々が続いた。1年時は出雲5区と全日本4区で区間賞を獲得するも、故障で出遅れる。2年時は主力として三大駅伝はエース区間を担当したが、箱根駅伝は2区で区間19位に沈んだ。
心身ともに削られた石田は昨季、さらに苦しんだ。チームを離れた時期もあり、9月から夏合宿に合流。10月後半から本格的な練習を再開するも、箱根駅伝を走ることはできなかった。
「ここまで辛いことしか記憶にないんです……」と石田は大学生活を振り返ったが、故障が完治すると、4月中旬から徐々に調子が上がってきたという。
「本当に一歩一歩でしたけど、ちょっとずつ自分ができる領域が広がっていったんです。その喜びを感じながら練習できたのが、今日の走りにつながったんじゃないかなと思っています。自分のなかで誇れる結果をひとつ残せた。ようやく自分も東洋の選手になってきたんじゃないかなと思います」
最初で最後の関東インカレでインパクトを残した石田。本当の〝反撃〟はこれからだ。
「終わりよければすべてよし、というわけにはいかないかもしれませんが、最後は自分らしく充実感で終わりたいと思っています。次は全日本大学駅伝の予選会になるので、そこに向けて気を引き締めていきたい。結果を残せなかった申し訳なさがあるので、最後は後輩たちに4年生らしい姿を背中で見せていきたいですし、支えてくれた方々に恩返しできる結果を残したいです」
鶴川は3年連続の日本人トップを優勝で飾る
鶴川正也(青学大)は4年連続で男子2部5000mに出場。一昨年と昨年は日本人トップ(ともに3位)に輝いており、今年は「優勝」を狙っていた。
決勝は4人のケニア人留学生が引っ張る展開になり、3000mを8分20秒で通過。鶴川は徐々に順位を上げていく。残り5周を切って、留学生の背後についた。ラスト1周でダンカン・マイナ(専大1)とブライアンキプトゥー・ブシューアキットゥ(麗澤大1)と激しく競り合い、最後の直線で突き放す。両腕を広げて、ゴールに駆け込んだ。
「これまでは自分の武器であるラスト1周のキレとラスト100mの負けない走りができませんでしたが、今年は自分の持ち味を生かせて良かったです。優勝はうれしいというより、ホッとしています」
鶴川は男子1部の優勝タイム(13分37秒62)を上回る13分36秒41をマーク。表彰台のてっぺんで笑顔を見せた。
昨季は出雲駅伝で最終6区を任されるも、区間7位と振るわず、國學院大・平林清澄に逆転を許した。その後はケガに苦しみ、箱根駅伝を走ることができなかった。
「出雲駅伝の後に大腿部を疲労骨折してしまって、何のために大学に入ったんだろう、という思いもあって、眠れない日々が続いたんです。競技をやめようかな、とも思ったんですけど、『来年こそ頑張ってほしい』とみんなが言ってくれて、チームの思いを受け取りながら、少しずつ回復してきました。4年生になって、自分が引っ張らないといけない気持ちが出てきて、意識も上がってきたかなと思います」
今年の箱根駅伝で青学大は完勝した。しかし、鶴川の心のなかには複雑な思いが渦巻いていた。
「表では応援していたんですけど、素直に応援できなかったですね。そういう自分は嫌ですけど、やっぱり自分が走って、勝たせたいという思いが強かったんです……」
関東インカレでは〝エース級〟の活躍を続けてきた鶴川だが、三大駅伝の出場は出雲の1回のみ。ラストイヤーにかける思いは膨れ上がっている。
「箱根駅伝で活躍したい、優勝に貢献したい。そういう気持ちで青学大に入ったんです。そのなかでやっとチームの戦力になるぐらいまで戻ってこられた。でも、これくらいでは箱根駅伝の区間賞は獲れないと思っています。喜ぶのは今日だけにして、明日からは来年の箱根駅伝に向けてトレーニングをしていきたい」
鶴川の熱い思いは、正月の晴れ舞台を目指す、すべての4年生ランナーに共通するものだろう。最後のチャンスに向けて、最上級生たちの〝ラストスパート〟が始まろうとしている。