恋愛相手は誰でもよかった?
「初戀」で藤村は、いつの間にか少女から大人の女性に変わっていく変わり目、いつ変わったのか、誰が変えたのかということを表現しました。また、同じ『若菜集』にある「六人の処女(をとめ)」では、「おえふ」「おきぬ」「おさよ」「おくめ」「おつた」「おきく」という6人の女性の名前をタイトルにした詩を発表しています。藤村は女性好きでした。「六人の処女」は実生活ではモテなかった藤村の、恋に恋する気持ちをまさに表現した詩なのでした。書き出しはこうです。
おえふ
處女(をとめ)ぞ經(へ)ぬるおほかたの
われは夢路(ゆめぢ)を越えてけり (後略)
『藤村詩抄』所収『若菜集』より「六人の処女」(岩波文庫)
藤村は上から目線でこんな女性がいたらいい、こんな女性になってほしいと書いたのです。藤村にとって恋愛相手は誰でもよかったのではないでしょうか。五七調のリズムも心地良く、藤村の理想としたセンチメンタルな世界は女性に受けますが、上から目線で威張れば女性にモテるかというと、決してそうではありません。そこが藤村の恋が成就しない理由だったのかもしれません。
『若菜集』に続いて『一葉舟』『夏草』『落梅集』という詩集を出した藤村は、依然として人気はありましたが、その後は似たような詩ばかりになってしまい、徐々に散文に移行していきます。
そんな時に出会ったのがドフトエフスキーの小説でした。強い影響を受けた藤村は『罪と罰』をネタ本にして、若くして亡くなった知人・大江礒吉をモデルに『破戒』を書きます。被差別民として生まれた主人公は出自を隠して教育者への道を歩みますが、ついには自我に目覚めて自ら出自を打ち明けるという、社会的なテーマを追求した小説です。日本は身分制度がなくなったとはいえ、やっぱり厳然として差別があるじゃないか。藤村はそこを見つめようと思って書いたのでした。
明治39年(1906)に自費出版された『破戒』は、非常に高い評価を受けます。
夏目漱石も門弟の森田草平あての手紙に「破戒読了。明治の小説として後世に伝うべき名篇也」と綴りました。
『破戒』によって文壇で認められた藤村は小説家に転身、以後、北村透谷らとの交遊を題材にした『春』、旧家の没落を描いた『家』などを出版し、自然主義文学の地位を確立していきます。
余談ですが、『罪と罰』をパクった藤村は、明治34年(1901)に刊行した詩集『落梅集』に収録されている「椰子の實」でも柳田國男の体験をパクリました。
椰子の實
名も知らぬ遠き島より
流れ寄る椰子(やし)の實(み)一(ひと)つ
故郷(ふるさと)の岸を離れて
汝(なれ)はそも波に幾月(いくつき) (後略)
『藤村詩抄』所収『落梅集』より「椰子の實」(岩波文庫)
伊良湖岬に滞在した柳田國男が恋路ヶ浜に流れ着いた椰子の実の話を藤村に語り、それを藤村がうまく使って詩を作り、童謡としても後世に歌い継がれる名作となったのでした。