ロールス・ロイス『スペクター』

彼女はなぜ、ロールス・ロイスが欲しいのか?

 彼女たちは電気自動車であるがゆえにスペクターに魅力を感じたのだろうか? 一般的にいって、女性のほうが環境問題に深い関心を抱いているように思われたので、私はそう訊ねてみたのだが、それを聞いたアイリーンは吹き出しそうな笑顔を見せて、こう答えたのである。

「電気自動車であるかどうかは、彼女たちにはまるで関係ないようです。その証拠に『航続距離はどう?』とか『充電時間はどのくらい?』という質問は一切、ありませんでした。私が思うに、彼女たちはスペクターの美しいデザインに惹かれたのでしょう」

 いったい、彼女たちはどのような職業に就いているのだろうか?

「新しいお客さまの多くは起業家です。なかでも美容関係のお仕事をされている方が少なくありません。日本でも韓国でも、女性の美容に対する関心は非常に根強いですよね。ですから、たとえばネイルサロンを経営されているとか、美容整形に関わっているというお客さまが増えています。また海外で飲食店のネットワークを展開されているお客さまもいらっしゃいます。そういうお仕事をされている方々は、デザインやカラーに対する関心がとりわけ強いように思います。そして、ビスポークを得意としているロールスロイスにとって、これはとてもいいことです」

 老舗ブランドにとって、顧客の若返りは重要な課題だ。実は、ロールスロイスのブランド・イメージを大きく見直す方針は、もともと2010年に同社CEOに就任したトルステン・ミューラー-エトヴェシュが立案したもの。「今後は若い富裕層が増える」との市場調査結果に基づき、製品やコミュニケーションを見直してブランドの若返りに努めたという話は、5年ほど前にミューラー-エトヴェシュ自身から直接、聞いた。その結果、ロールスロイスの平均顧客年齢はBMWグループ内でもっとも若い(ということはミニよりも若い!)43歳まで若返ったそうだが、現在の方針は、彼の考え方を受け継ぐものといえる。なお、昨年11月にCEOから退任したミューラー-エトヴェシュは「新しいお客さまは投資やIT関連のビジネスに関わっている方々が中心です」と語っていたが、アイリーンの話を聞くと、顧客の若返りもそこから一歩進んだように思える。

 いずれにせよ、私自身にとってより重要なのは、顧客の姿がどんなに変わろうとも、ロールスロイスが完璧なクルマづくりをいまも目指し続けている点にある。それは、ただ静かとか、乗り心地がいいとか、そういうレベルの話ではなく、おおよそ通常では考えられないくらいの激しい負荷をかけても、クルマがビクともしないばかりか、無粋なマナーを一切、見せない点にある。

 これだけの完成度を追求するのにどれだけの手間と労力が必要だったかは想像もつかないが、それが顧客に伝わろうが伝わるまいが、あくまでも自分たちの理想を貫く点こそ、ロールスロイスの本質であるというのが私の認識。ロールスロイスが多くの自動車メーカーから尊敬されてやまないのも、おそらくはこれが最大の理由だろう。