初めて泣いた演技

 氷上に戻り、夏場にはジャンプの練習も再開したが、右股関節骨挫傷を発症し再びリンクから離れざるを得ないなど、本格的な復帰を果たすに至らない。平昌オリンピックを控えるシーズンが開幕したが、予定していた複数の大会を欠場せざるを得なかった。そんな中、指導にあたっていた濱田美栄コーチが「4年後(のオリンピック)を目指そう」と話したのは2017年10月のこと。状況の厳しさを物語っていた。

「ただ濱田先生には、あえてそう言うことで奮起を促す、きっと応えてくれるという思いから言ったのではないかと私は思いました」

 宮原自身はその言葉をどう受け止めていたのか。

「『先生からあきらめたらって言われたんですけど、私はあきらめたくないと思っているんです』と知子ちゃんは言っていました」

 それに対して出水はどう応えたのか。

「『正直なことを言うと、4年後は知子ちゃん、難しいと思う。行きたいという意思があるのであればそう話してみたら』と言いました。難しい、というのは世界で勝つという意味です。ロシアの選手たちが次々に出てきていて、トリプルアクセルや4回転ジャンプを跳ぶジュニアの子たちもいた。知子ちゃんは頑張ればトリプルアクセルはいけそうな感じだったけれど、4回転ジャンプは難しいな、と思っていました」

 宮原はオリンピックを目指すという意志を貫き、全日本選手権で優勝、平昌オリンピック代表をつかんだ。

2017年12月23日、全日本選手権でFSを演じる宮原 写真=望月仁/アフロ

「行かないイメージは全くなくて、絶対優勝して行くだろうなって思っていました。演技が終わっとき、初めて知子ちゃんの演技で泣きました。めちゃくちゃ泣きました。あれだけきつい思いをして頑張ってきた結果って、やっぱり出るんだ、と思いました」

 平昌オリンピックでは、宮原は会心の演技を見せて4位入賞を果たした。大会にも同行した出水はこのシーズンからもう1人の選手のサポートにあたっていた。宇野昌磨である。宇野も平昌大会に出場し銀メダルを獲得している。つまり2人のトレーナーとしてオリンピックに帯同していた。

「昌磨の場合、最初のアプローチはほんとうにいろいろ考えました」

 出水はそう振り返る。

「基本的に『何々をする』と書いて残す、よくテレビで目標を書いてください、とかありますよね、そういうのは好きじゃないと聞いていたので、いきなり『目標は?』などと聞くのは違うだろうな、と思いました。だからいろいろ話をしていきました。その中で『フィギュアスケートをずっと頑張ってるよね』と話しました」

 その問いかけをとっかかりに会話を重ねるうちに、出水は宇野の『芯』を感じ取った。

「『他の人より自分に負けるのが嫌だ』。彼は自分に負けたくないという意志が強いんだと思いました。絶対に自分に負けたくない。そのために練習する、そして練習でしてきたことを試合で出したい。これが『芯』なんだなと感じて、その方向で進めよう、と。しかも明確に考えを持っていて、自分自体のスタイルというのもきちんとあるのも分かりました」

 出水は、今日まで宇野のサポートにあたり、喜怒哀楽をともにすることになった。 

 

出水慎一(でみずしんいち)スポーツトレーナー。国際志学園 九州医療スポーツ専門学校所属。 専門学校を卒業後、フィットネスクラブに勤務。18歳からスポーツ現場や整骨院で修行を続け、その後、九州医療スポーツ専門学校で学び柔道整復師の資格を取得。スポーツトレーナーとして活動する中でフィギュアスケートにも深くかかわり、小塚崇彦、宮原知子、宇野昌磨のパーソナルトレーナー等を務める。2018年平昌、2022年北京オリンピックにも参加している。