坪内逍遥との文学論争
鷗外が繰り広げた数々の論争のなかで、「舞姫論争」と並んで有名なのは、坪内逍遥との「没理想論争」です。
明治時代以降の新しい文学の端緒を創った坪内逍遥は、1885年(明治18)刊行の小説論『小説神髄』において、「小説はリアリズムであり、江戸時代のような勧善懲悪ではダメだ」として、小説における心理的写実主義を唱えていました。
はたして1891年(明治24)、逍遥が創刊した『早稲田文学』に載せたシェークスピアの「マクベス」の評釈に対し、鷗外は、過剰な反論をして世間を騒がせたのです。
逍遥が、「シェークスピアの作品は、理想や主観を直接表さずに事象を客観的に描いたもの=没理想」だとしたのに対して、鷗外は、「価値判断の基準の重要性と美の理想」を主張して、「理想なくして文学なし」と言うのです。
これでは、なにを言っているのかわかりませんね。
じつは、そもそも「理想」という言葉の意味や使い方が、両者の間でちょっと食い違っているところも問題なのです。
何かというと、坪内逍遥がいう「理想」は、「勧善懲悪」という古い価値観からの超越を表します。フランスの文学、あるいは印象派の絵で言われる「リアリズム」、つまり「現実」を、自分の目で見て、そのまま、自分なりの表現力で書くという方法です。
これに対して鷗外の「理想」は、「あるべき将来」を自らの手で勝ち取るための価値基準です。
問題とする「理想」という言葉の意味が食い違っていたら、まったく話になりません。
「坪内は、おれが言っていることがわからないのか!」と、鷗外はイライラしてしまいます。
二人の論争は『早稲田文学』と鷗外が主催する『しがらみ草紙』を舞台に展開されました。鷗外は「お前の論拠はなんなのだ」と、突っ込むどころではなくいじめといえるくらいひどく逍遥を責め立てます。
こんなふうに責められても、鷗外が言っている「理想」の意味がまったくわからない坪内逍遥は、具合が悪くなって熱海に引っ込んでしまったほどでした。
鷗外がイライラして人に当たり散らすのを見かねた文学者・内田魯庵は「鷗外にだけは気をつけよ」と皆に警鐘を鳴らすのです。