オリンピックよりもスケート
2014年のソチオリンピックから、団体戦が実施されることが決まっていた。団体戦は男女シングル、ペア、アイスダンスで行われる。ペアはどうしても「弱点」と見られがちだったから、台頭する2人に目が集まるのは自然なことだった。
ただ、問題はあった。オリンピックの場合は国籍が問われるからだ。2人への期待は、トランの帰化を望む声でもあった。
「温度感的には周りほどはなかったです。実は私たちは気にしていなかったですね」
高橋はそう振り返る。
「日本に帰化するためには日本に長期滞在しないといけないですけれども、そうすると練習環境がなかったり、コーチもいなかったりするため、技術の向上が止まってしまいます。選択肢があった中で、私たちは『やっぱりスケートでうまくなりたいよね』というところが第一だったのでカナダにいることを決めました。そう、マーベントランと一緒に滑ると決めた時点で何よりもスケートが第一。学校よりもスケート、オリンピックよりもスケート、でした」
だが2人は、2012年12月にペアを解消する。
「怪我が大きかったです。あれはもうほんとうに怪我で。解消する1年くらい前から6回くらい肩の脱臼を繰り返していました。銅メダルを獲った世界選手権そして国別対抗のあともやって、次のシーズンに向けた夏にもやって。日常生活でも外れるようになってしまっていたので、次のシーズンの初戦のチャイナカップに向かう前にいったん日本に寄って診てもらって、中国で合流することにしました」
日本で診察を受けると、思いがけない言葉を告げられた。
「今すぐ手術をしないと危ない、そうじゃないと今後何もできなくなる、みたいなアドバイスをいただきました」
皆と相談し、そのまま日本で手術を受けた。手術後、リハビリにも力を注いだ。
「でも、肩の稼働域がかなり制限されるようになっていて、思うように戻らなかったです。スケートをやめようとそのときは思いました」
ペアの練習などできるわけもない。そうした時間が長くなっていった。
そして2人はペアの解消を決めた。
それは一つの区切りだったが、そのタイミングで、耳にした話があった。それが高橋の進路に影響を与えることになった。(続く)
高橋成美(たかはしなるみ)
3歳でスケートを始める。小学4年生のとき父の転勤に伴い中国へ。当地でペアを始める。2008年から2014年にかけて全日本選手権で優勝。2011-2012シーズンにはグランプリファイナルに日本のペアとして初めて進出、世界選手権では日本ペア初の表彰台となる銅メダルを獲得。2014年、ソチオリンピックに出場。2018年3月に引退したあとはテレビの大会中継時の解説を務めるほか、日本オリンピック委員会理事、さらにはタレントとしてバラエティ番組に出演や演技の仕事など幅広く活躍を続ける。