文字に生命が宿った第二期パリ時代
佐伯のパリ時代は第一期、第二期の2期に分かれる。第一期は1924年から《壁》を描いた1925年まで。その後、佐伯は病状悪化のため、家族に説得されて日本に一時帰国。東京と大阪を行き来しながら、東京では下落合の住宅街を、大阪では港に停泊する船を好んで描いた。佐伯はこの頃、「線」への興味を強め、住宅地の電信柱や船の帆柱など直線的なものを画題に選んだと考えられている。
この「線」への関心は、第二期パリ時代の“線描”につながった。1927年8月末、再びパリを訪れた佐伯はあらためてパリの街を描き始めた。だが、画風は第一期パリ時代のスタイルと大きく異なる。佐伯の風景画には文字が描かれたものが多いが、第一期では文字はあくまで風景の中の一要素という扱いだった。しかし第二期では文字が主役。《ガス灯と広告》《広告貼り》といった作品では、文字が壁を離れ、生命をもった生き物のようにカンヴァス上を飛び跳ねているようにも見える。
文字に生命を吹き込む画家。進化を続ける佐伯だったが、第二期パリ時代はあっという間に幕を閉じた。1928年3月に風邪をこじらせ、8月には帰らぬ人となってしまう。闘病生活の中でも佐伯は絵筆を捨てずに、創作活動に励んだ。自宅に郵便物を届けに来た配達夫を描いた《郵便配達夫》、そしてわずかに体力が回復した時に外へ出て描いた《黄色いレストラン》。
絶筆といわれる《黄色いレストラン》は、レストランの扉をクローズアップして描いた作品。もしも佐伯がもっと生きていたなら・・・。この扉の向こうにどんな世界が待っていたかを知ることができたのに。