パリの街並みに自身のスタイルを見出す
ヴラマンクの言葉は大きな転換点になった。佐伯は人真似ではない独自の表現方法を今まで以上に模索。それまでは自画像を多く制作していたが、ほとんど描かないようになり、そのかわりに風景画が増えていった。自分自身を投影する対象を、風景に見出したのだ。
まもなくして、佐伯はひとつのスタイルを確立した。パリの重厚な石造りの街並み、ポスターが貼られた建物の壁、プラタナスの並木道、さらには公衆便所。佐伯が描くパリの情景は佐伯芸術の代名詞になった。
そんな佐伯のスタイルが確立したのは、具体的にいつのことだろうか? その答えは、《壁》という作品にある。
《壁》は一つの建物の壁面をクローズアップして捉えた油彩画。カンヴァスの大部分を壁が埋めているという、“何のおもしろみもなさそう”な作品だ。だが、その壁がずっと眺めていたくなる魅力と説得力にあふれている。佐伯は《壁》に、作品が仕上がった「1925年10月5日」という日付を記した。佐伯が完成日を入れることは珍しい。佐伯のスタイルが1925年10月5日に確立し、本人にとって記念すべき1日になったと考えられるのではないか。