行基によって発見された名湯
山代温泉の歴史は古く、奈良時代の僧・行基によって発見されたと言われています。725年、霊峰・白山に向かう途中の行基は、一羽の烏が水たまりで羽の傷を癒しているのを見て、温泉を発見したと伝えられているのです。
この烏は古事記や日本書紀にも登場する、三本の足をもつ八咫烏でした。最近では日本サッカー協会のシンボルマークや、サッカー日本代表のエンブレムになっていることで、有名かもしれませんね。
山代ではマスコットオブジェや「やましろすぱクロくん」というゆるキャラにもなっていますから、街のどこかで出会えると思います。
温泉を発見した行基は、これを守護するために薬師如来などを彫ってお堂を建立しました。これが薬王院温泉寺の創建の由来です。
霊峰白山を祀る白山五院の筆頭寺院で、明覚上人は七堂伽藍を建立し、勅願寺(天皇の発願によって建立されたり指定された寺院)として温泉寺は栄えたのでした。
永禄8年(1565)には戦国時代の武将・明智光秀も傷を癒しに湯治に訪れ、10日間滞在したそうです。また、与謝野寛(鉄幹)は「山代の いで湯に遊ぶ 楽しさは たとえて言えば 古九谷の青」と山代温泉の歌を詠んでいます。そのほかにも泉鏡花や魯山人など、多くの文人・粋人にも山代温泉は、愛されてきました。