本宮よりも古い上社前宮
本宮でのお参りを終えたら、他の宮にも足を伸ばしたい。まずは上社前宮。実はこちらの方が本宮より古く、タケミナカタノカミが最初に居を構えた場所とされる。さらには、より古いモレヤ神の信仰が根付いてきた場所でもあり、「御頭祭」と呼ばれるめずらしい形の神事が行われる。鹿の頭という、神社らしからぬものを神前にお供えするのだ。古くは生首を70頭分以上も並べたというが、現在ははく製が使われている。
前宮の近くにある「神長官守矢資料館」にも立ち寄りたい。こちらは代々、諏訪大社の神長官を務めてきた守矢家の敷地内にあり、守矢家に伝わる古文書や、記録に残されていた御頭祭の神饌の模型などを見ることができる。
壁には、鹿の頭だけでなく、他の動物の頭も数多く掲げられている。弥生時代以降、日本は稲作の国となったため、通常の神社のお供えは農作物が中心となる。それに対し、縄文の人々が食物を手に入れる手段は狩猟であり、神への捧げものは獲物の首だった。諏訪は、稲作が始まる以前の縄文文化の名残が今も受け継がれている特別な場所なのである。
諏訪湖の対岸にある春宮と秋宮
下社の二つの神社は、上社の二つの神社から見て諏訪湖の対岸にあり、春宮には毎年2月~7月、秋宮には8月~1月に祭神が祀られる。諏訪湖は冬場に凍結するが、より寒さが厳しくなると、上社がある岸から下社がある岸まで湖面の一部が盛り上がり、氷の道のようなものができることがある。これを御神渡りといい、上社のタケミナカタノカミが下社にいる妻のヤサカノトメのもとへ出かけた跡と言われている。
春宮付近には、近年人気の高い「万治の石仏」という名所もある。巨大な半円形の石の上に厳めしい表情の顔が乗った阿弥陀如来像で、なかなかユーモラスなお姿だ。御柱祭を見る目的で諏訪を訪れた岡本太郎も、ひと目でこの像のとりこになったという。
これは江戸時代に作られたもので、春宮の鳥居を作るため巨石にノミを入れたところ、血が流れたため、鳥居にするのはやめて仏像にしたと伝わっている。したがって縄文文化と直接の関係はないのだが、縄文の美術品を愛した岡本太郎の目には、この地で守られてきた縄文の神のように見えたのかも知れない。