取材・文=吉田さらさ
諏訪神社の総本宮
この連載が始まってちょうど一年。季節が一巡したところで、とっておきの謎多き神社、諏訪大社をご紹介しよう。諏訪湖のほとりに四か所の境内地を持ち、信濃国一ノ宮にして、日本全国に25000社ほどある諏訪神社の総本宮。そして実は日本でも最古級の、縄文時代にまで遡る歴史を持つ神社でもある。
まず簡単にこの神社の由緒について知っておこう。諏訪大社には、上社本宮、上社前宮、下社春宮、下社秋宮の四つの宮があるが、そのどれもが、タケミナカタノカミと、その妻でのヤサカノトメを主祭神とする。タケミナカタノカミは出雲のオオクニヌシノミコトの次男で、古事記の「国譲りの神話」で重要な役割を果たす神である。
ある時アマテラスオオミカミは、地上の出雲の国が栄えているのを見て、オオクニヌシノミコトにその国を譲るようにと申し入れた。タケミカヅチノカミが派遣されて説得に当たると、オオクニヌシノミコトは「息子たちに聞いてくれ」と言った。
長男のコトシロノヌシノカミは承諾したが、次男のタケミナカタノカミは納得せず、タケミカヅチノカミに力比べで決めようと提案。しかしタケミナカタノカミは相撲の起源とされるこの勝負に敗れて逃走し、出雲から遠く離れた諏訪湖のほとりまで追い詰められ、この場所から出ないと誓って許しを得た。かくして国譲りは成立した。
タケミナカタノカミはこの地にとどまり、地元の美女であるヤサカノトメを娶って、諏訪大社の神として祀られた。しかしこの地には、それよりはるか昔の縄文時代から信仰されていた「モレヤ」という神がいた。このあたりの経緯は定かではないが、そこでタケミナカタノカミとモレヤ神との間に何らかの戦いがあったとも想像される。
以降、タケミナカタノカミが優位に立つこととなったが、古くから行われてきた伝統的な祭祀などは排除されなかった。つまり、もともとこの地にあった縄文の勢力と外来の勢力が共存したのである。その結果、モレヤ神の子孫とされる守矢家という一族が、明治初頭まで「神長官」を務めてきた。これは諏訪大社で行われる神事を取り仕切る重要な役職である。
まず上社本宮に行くのが一般的
現在、諏訪大社にお参りする場合、まずは、もっとも規模が大きい上社本宮に行くのが一般的だ。こちらの境内には神様を祀る本殿がなく、御山をご神体として拝殿から拝む形だ。
この神社には古くより「大祝」(おおほおり)という役職があり、諏訪明神の依り代として頂点に立っていた。この人物が現人神と見なされたため、ご神体が必要なかったという説もある。
それ以外にも本宮で見るべきものは多いが、必ずチェックしたいのは、四隅に立つ御柱だ。7年に一度開催される有名な神事、式年造営御柱大祭(通称御柱祭)の際に山からモミの巨樹が切り出され、境内まで運ばれて四本の御柱となる。今年(2022年)は開催年に当たり、コロナ禍に配慮して常より規模を縮小した上で4月~6月にかけて行われた。
御柱祭の始まりは定かではない。平安時代初期に最初の記録があるが、縄文時代の自然信仰の名残という説もある。御柱を立てることの意味についてもはっきりわかっていない。よく言われるのは「神域を守る結界を示している」という説だが、他にも仏教由来、陰陽五行由来など、さまざまな説があるようだ。
四本の御柱は上社本宮だけでなく、他の三社にも同じように建てられる。この地域のあちこちで見かける小規模なお宮の四隅にも、四本の御柱が立てられている。道端にある小さな祠の周囲にさえ、菜箸ほどのサイズのかわいらしい御柱がある。この神事がどれほどこの地方に深く浸透しているかがよくわかる光景だ。