日本映画に関するやや意外な歴史

 日本の最優秀賞は2回。第81回(2008年)の『おくりびと』が史上初となりました。2000年代に入ってからというのは少し意外かもしれませんが、1950年代に「国際長編映画賞」がまだ確立されていない時代にはアカデミー「名誉賞」として黒澤明監督の『羅生門』が第24回(1951年)、衣笠貞之助監督の『地獄門』が第27回(1954年)、稲垣浩監督の『宮本武蔵』が第28回(1955年)にそれぞれ受賞しています。一方で第48回(1975年)に最優秀賞を受賞した黒澤明監督の『デルス・ウザーラ』はソビエト連邦からのエントリーとして記録されています。

 

世界3大映画祭との2冠受賞作、そして異例のマルチ受賞作

 毎年、アカデミー賞と並んで映画ファンの注目が集まるのが「世界3大映画祭」といわれる3つの大きな映画祭です。開催月順に例年2月開催の「ベルリン国際映画祭」、5月の「カンヌ国際映画祭」、8月末(あるいは9月初旬)の「ヴェネツィア国際映画祭」となりますが、それぞれの国際長編コンペティション部門の最高賞「金熊賞」(ベルリン)、「パルム・ドール」(カンヌ)、「金獅子賞」(ヴェネツィア)の受賞後に、翌年の「アカデミー国際長編映画賞」最優秀作品賞を受賞する可能性は、どの程度なのでしょうか?

 今回あらためて確認した結果、意外なことに金熊賞は『悲しみの青春』(ヴィットリオ・デ・シーカ監督 1971年)と『別離』(アスガル・ファルハーディー監督 2011年)の2回、金獅子賞は『ROMA / ローマ』(アルフォンソ・キュアロン監督 2018年)の1回のみと、思いのほか少ない結果でした。

 また、パルム・ドールは近年の『パラサイト 半地下の家族』(ポン・ジュノ監督 2019年)はじめ6回で、ベルリン映画祭、ヴェネツィア映画祭より多い実績でした。(『黒いオルフェ』マルセル・カミュ監督 1959年、『男と女』、『ブリキの太鼓』フォルカー・シュレンドルフ監督 1979年『ペレ』ビル・アウグスト監督 1988年、『愛、アムール』ミヒャエル・ハネケ監督 2012年、『パラサイト 半地下の家族』)

 こうしてみるとパルム・ドールと併せて、史上唯一、本体のアカデミー賞最優秀作品賞とアカデミー最優秀国際長編映画賞のマルチ受賞を成し遂げた『パラサイト 半地下の家族』のすごさを認識することができます。(同作は、他にアカデミー最優秀監督賞、最優秀脚本賞も受賞。)

 

1回のみ受賞の国の、ちょっと意外な事実

 最後に1回だけ最優秀作品賞を受賞している国の作品から、ちょぅと意外な事実をセレクトしておきたいと思います。

 第42回(1969年)に受賞した政治サスペンスの傑作『Z』はコスタ=ガブラス監督のもと、イブ・モンタン、ジャン=ルイ・トランティニャンなどフランスの名優が共演していますが、アルジェリアからのエントリーでした。

『みなさん、さようなら』(ドゥニ・アルカン監督 2003年)は、カナダ映画ですが仏語圏カナダが舞台のため、カナダからのエントリーで外国語対象の賞を受賞しています。

 アン・リー監督の『グリーン・デスティニー(2000年)』は、台湾からのエントリーでした。

 アフリカではコートジボワールの『ブラック・アンド・ホワイト・イン・カラー』(監督はフランスのジャン=ジャック・アノー! 1976)と南アフリカ共和国の『ツォツィ』(ギャヴィン・フッド監督 2005)が受賞しています。

 そして・・・第91回の『ROMA / ローマ』(2018)はメキシコシティのローマ地区を舞台にしたメキシコからのエントリー作品です。