DXの文脈やコロナ禍を背景に、多くの日本企業で人材の在り方が見直されている。経済産業省でも2021年に有識者会議「未来人材会議」を設置。また2020年に発表した「人材版伊藤レポート」(正式名称:持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書)も改訂された。企業経営者が主導すべき「人的資本経営」とは一体どのようなものか。経済産業省 経済産業政策局産業人材課長であり、大臣官房未来人材室長の島津裕紀氏が解説する。
※本コンテンツは、2022年4月21日に開催されたJBpress主催 製造・建設・物流イノベーションWeek「製造業人事DXフォーラム」の特別講演Ⅰ「今後の人材政策の方向性」の内容を採録したものです。
日本企業、主に製造業に顕在化する「人材」の諸課題
日本企業の「人的資本経営」には、幾つかの課題がある。それは「企業を取り巻く環境変化」に関するデータからも見て取れる。
株式会社野村総合研究所とオックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン博士の共同研究(2015年)によると、日本の労働人口のうち49%が「AI・ロボットなどに代替される可能性が高い」と予測。中でも雇用規模がある程度大きく、自動化可能確率の高い仕事が「総合事務員・会計事務従事者などの事務職」である。
OECD「Green Growth Indicators 2017」の試算では、世界的潮流の脱炭素化により、化石燃料関連産業(例:ガス・石炭・化石燃料由来の発電など)で雇用減少が進み、再生可能エネルギー関連産業(例:太陽光・風力発電、可燃性の再生エネルギーおよび廃棄物由来の発電など)で新たな雇用創出が進むとされる。
また、既存の「企業活動」の中にも幾つかの課題が垣間見える。例えばスキルギャップの発生だ。マッキンゼー・アンド・カンパニーの「Beyond hiring: How companies are reskilling to address talent gaps」によると、世界企業の8割以上が「今後5年以内にスキルギャップが発生」。うち4割以上の企業では「既にスキルギャップが顕在化」しているとされる。
株式会社パーソル総合研究所の「ITエンジニアの就業意識に関する調査結果」では、ITエンジニアの半数近くが「自分の技術やスキルの陳腐化に不安(46.5%)」「新しい技術やスキルをいつまで習得できるか不安(43.6%)」と回答。なお技術革新が盛んなIT分野ほど、技術・スキルの陳腐化への不安が顕著である。
さらに厚生労働省「平成30年版 労働経済の分析」によると、日本企業におけるOJT以外の人材投資は諸外国と比べて極めて低く(GDP比)、さらに低下傾向にある。社外学習・自己啓発をしない個人の割合も半数というデータからも、諸外国と比べ不十分であると考えられる。
経済産業省が設置した有識者会議「未来人材会議」
企業で働く「個人」にフォーカスするとどうなるか。調査会社GALLUPの「State of the Global Workplace 2021」によると、日本企業の従業員エンゲージメント(士気・熱意)は5%となっている。これは世界平均20%に比べて低く、東アジアに限定しても最低水準だ。パーソル総合研究所「APAC就業実態・成長意識調査(2019年)」では勤続希望者の割合(52.4%)が低く、同時に転職意向者(25.1%)、独立・起業志向者(15.5%)の割合も低かった。
待遇面でも個人の課題が顕在化する。リクルートワークス研究所「五カ国マネジャー調査」によると、日本企業の昇進年齢は課長職平均38.6歳、部長職平均44.0歳。部長職年収はタイと比較しても約120万円少ない。
リクルートワークス研究所とボストン コンサルティング グループによる「求職トレンド調査2015」では、「転職で賃金が増加した」転職者の割合が22.7%。転職が賃金上昇の機会になっていないことが明らかになった。
さらに内閣府のエビデンスシステムe-CSTIの「産業界と教育機関の人材の質的・量的需給マッチング状況調査(2021年度)」では、特にソフトウエア・情報システム開発の領域で「大学の学問分野と産業界で必要とされる専門性に間にギャップがある」ことが判明した(10点満点中8.64)。
経済産業省の島津氏は、以上のデータを論拠としながら、同省が2021年12月に設置した有識者会議「未来人材会議」と、会議の将来ビジョン「未来人材ビジョン」の趣旨を説明した。
「デジタル化の加速度的な進展と、『脱炭素』の世界的な潮流は、これまでの産業構造を抜本的に変革するだけではなく、労働需要の在り方にも根源的な変化をもたらすことが予想されます」
さらに、今後、知的創造作業に付加価値の重心が本格移行する中で、日本企業の競争力をこれまで支えてきたと信じられ、現場でも教え込まれてきた人的な能力・特性とは根本的に異なる要素が求められていくことも想定されるという。
「日本企業の産業競争力や従業員エンゲージメントの低迷が深刻化する中、グローバル競争を戦う日本企業は、この事実を直視し、必要とされる具体的な人材スキルや能力を把握し、シグナルとして発信することができているか。そして、教育機関はそれを機敏に感知し、時代が求める人材育成を行えているのかが求められます」
これら問題意識のもと設置された「未来人材会議」は、2030年、2050年の未来を見据え、産学官が目指すべき人材育成の大きな絵姿を示すとともに、採用・雇用から教育に至る幅広い政策課題に関する検討を実施していく。
改訂版「人材版伊藤レポート2.0」の狙い
他方、同省から最近公表されたのが「人材版伊藤レポート2.0」。2020年9月に公表された「人材版伊藤レポート」(正式名称:持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書、座長:一橋大学CFO教育研究センター長・伊藤邦雄氏)の改訂版である。
Ver1.0では、今後の変革の方向性、経営陣・取締役会・投資家それぞれの役割を明らかにした上で、経営陣が主導して策定し実行する人材戦略について、3つの視点と5つの共通要素が抽出された。続くVer2.0では、1.0公表後に起こった「デジタル化・脱炭素化・コロナ禍などの環境変化で人的資本に関する課題が顕在化」「海外における人的資本開示の進展」「日本国内における改訂コーポレートガバナンス・コードの公表」を背景に、より実践と開示の両輪で人的資本経営を実現できるよう見直されたという。
「Ver2.0では、1.0の内容を振り返りつつ、3つの視点・5つの共通要素に基づき、①実行に移すべき取り組み、②その重要性、③有効となる工夫を示しました。企業によって事業内容や環境はさまざまであり、このレポートで挙げられる全ての項目をチェックリスト的に取り組んでほしいわけではありません。『人的資本が重要』という認識を超えて、人的資本経営という変革をどう具体化し、実践に移していくか。それを主眼としたレポートです。経営陣がこの変革を主導するに際し、各企業において重要となる課題を特定し、腰を据えて取り組むに当たり、参考となるアイデアの引き出しです」
最後に島津氏は「検討会の思いが詰まったセクション」としながら、同レポート「おわりに」を引用した。
「繰り返しになりますが、『人材版伊藤レポート2.0』は、経営戦略と連動した人材戦略を企業が実践するための、アイデアの引き出しとして作成したものです。ただし、そこにアイデアがあったとしても、具現化するかどうかは、企業、とりわけ経営陣の意思にかかっています。企業としてどこを目指しているのか、何がやりたいのか、そしてその実現に最も大切な人材は、その目指すところ、やりたいことにどれだけ共感し、集まってきているのか。今、人的資本経営において先頭を走る企業は、常に切迫感にも近い問題意識を持って、このような点を明確にしてきたのだと感じます」