大江広元ゆかりの地

●長谷寺

長谷寺からの材木座、由比ガ浜の眺め 写真=アフロ

「鎌倉の西方極楽浄土」と謳われる古刹。奈良時代の天平8年(736)に開創されたと伝わる。

 桜(ソメイヨシノ)、桔梗、金木犀、椿など、四季の花々に彩られる。なかでも、散策路に咲き誇る、40種類2500株の紫陽花は有名だ。

 天和2年(1682)に書かれた『相州鎌倉海光山長谷寺事実』によれば、長谷寺は正治2年(1300)に、広元により再建されたという。

 

●大江広元の墓

法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)の東谷奥にある大江広元の墓

 鎌倉には、大江広元のものと伝承される墓が二つ残っている。

 一つは、明王院の裏山にある五層の石塔だ。由来は定かでないが、古くから「広元の墓」と言い伝えられてきた。

 もう一つの墓は、法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)の東谷奥にある。ここには広元の他に、広元の四男・毛利季光、薩摩島津氏の祖・島津忠久と、三つの墓が並んでいる。

 季光は、毛利氏初代である。季光は、父・広元から譲られた相模国毛利庄(厚木市)を本拠としたことにちなみ、毛利を名乗りとした。宝治元年(1247)に起きた「宝治合戦」では敗れた三浦氏方につき、頼朝法華堂前で自害している。

 生き残った季光の四男・経光の子孫から安芸を拠点とする者が現われ、戦国大名毛利氏へと発展した。

 

●大江稲荷社

大江稲荷社

 鎌倉市十二所に佇む、大江広元を祀る稲荷社。広元は、十二所の明石橋付近に屋敷を構えていたという。

 ご神体は、広元の姿を模した木像で、普段は大江稲荷社の近くにある明王院が保管している。だが、2月最初の午の日に行われる初午祭では、稲荷社に祀られ、明王院の住職が読経供養する。

 初午祭は今年(2022年)も執り行われ、大江広元役の俳優・栗原英雄氏も参列した。

 栗原英雄氏の演じる大江広元は、圧倒的な存在感を放ち、登場するたびに多くの視聴者の目を釘付けにしている。そんな栗原英雄氏の参列を、広元はきっと歓迎しただろう。