「呉服商」ならではのアイデア

 こうした宇宙的表現はいったいどこから生まれてきたのだろうか。読者諸氏は、尾形光琳は雁金屋という呉服商の息子として生まれたことをご存じだろうか。と切り出すと、「そんなことと本作がどう関係するのだ?」と訝しむ声が聞こえてきそうだが、私は大いに関係していると考えている。

 雁金屋は東福門院御用という名門で、光琳の父の祖母は本阿弥光悦の姉であった。つまり、光琳は当代一流の文化にどっぷり浸かる環境のなかで育ったという背景がある。この事実は光琳の美意識の形成に大きく影響していたはずである。この絵の夢幻性は光琳のそのような美意識と強く結びついている。

 また、本作のカキツバタは通常の描かれ方ではない。右隻の右から1~2扇のカキツバタと4~5扇のカキツバタをよくご覧いただきたい。じつはまったく同じである。左隻でも1~2扇と2~3扇がやはり同一である(これらがどういう効果をもたらしているか、一度考えてみてもらいたい)。よくよく見ないと気がつかないが、なんと光琳はいまでいうところの「コピペ」をしているのだ。

 この表現にあたって光琳はおそらく型紙を使用したと考えられている。呉服商は型紙と大いに縁がある。というか、布地を染めるのに型紙は不可欠である。呉服商に生まれ育った光琳にとって型紙は身近なもので、常人には思いもよらない「型紙を使う」というアイデアも当人にはそれほど奇異なものではなかったかもしれない。

 光琳は俵屋宗達の影響の下に表現を磨いていったとされる。もちろん、それはその通りなのだが、それとともに、あるいはそれ以上に、上記のような光琳の出自が絡んでいる可能性がある(このあたりをもって「知られざる話」としたいのだが、どうだろうか)。

 このように、金無地にカキツバタのみが描かれるという最終的な表現もさることながら、それを生み出したプロセスにも驚嘆すべきものがある本作。表現もプロセスも常識を超越した、まさに「すごいアート」というにふさわしい一品ではないか。

 本作は毎年カキツバタが咲く時季に公開されるのが吉例となっている。コロナ禍ではあるが、今年も展覧会が企画されているので、ぜひご自分の眼でご覧になっていただきたい。