計算からも無秩序からも免れる
この独特の味わいはどこから生まれてくるのだろうか。思えば、練上手にせよ嘯裂にせよ、作者が手掛けたものではあるものの、すべてが計算され切っているわけではない。
粘土の模様がどうなるか、どこにどのようなひび割れが生じるかは、厳密にはやってみなければわからない。かといって、まったくの成り行き任せということでもない。つまり、作者の一定のアーキテクチャーに基づきつつも、作者の意図を超えた偶然性をはらむ余地も含んだ作陶プロセスが進められているわけである。
こうして松井作品は、人間の作為とそれを超越する自然の配剤とが相まることによって、計算され尽くしたものの味気なさから逃れ、他方、まったくの無為による無秩序からも免れている。それがこの独特の味わいとして表現されているのだろう。
自然と人間の関係において、西洋では人間の力で自然を支配しようという発想が色濃いのに対して、日本では自然と人間が共生できる方向性が好まれる傾向があるといわれる。その観点からすると、松井作品はまさに日本文化の結晶とも見えてくる。
1993年、重要無形文化財「練上手」の保持者に認定。いわゆる人間国宝である。お寺の境内で始まった松井の作陶人生は、ついにひとつの極みに達したことになる。
ここまで「松井康成という陶芸家」とさらっと書いてしまったが、松井はもとから陶芸の道を志した人では必ずしもなかった。家業は染色工場で、自身も染色の仕事を手伝っていた。ところが、戦争中に父親の故郷の笠間に疎開することになり、そこで陶芸と出合って新しい道に進んでいった。人間の可能性はどこに転がっているかわからないという話でもある。
2003年4月、松井康成没。享年75。陶芸家は旅立ったが、彼が残した作品の数々は長く人々に愛され続けることだろう(茨城県陶芸美術館に常設展示あり)。