入場が規制されていた
浜辺にたどり着くには、そのあたりの木で作られた手すり(あまり信頼の置けないしろものだ)を頼りに降っていかなければならない。いざ降りようとすると、入り口に警備員らしき人物が立っていた。その後ろには不吉な二十人ほどの列ができている。地元のテレビクルーがその様子をカメラに収めていた。聞くと、入場が規制されているという。
「並んでください。ええ、並ぶんです、列に。まだしばらくは入れない」と警備員が中年のドイツ人に言った。ほとんどスペイン語に聞こえる英語だった。
「まったく、こっちは英語なんて分かりやしないのに」
想像していた通り、コロナの影響で来客は例年より減っていた。その一方で、浜辺でもソーシャル・ディスタンスが適用されるようになった。カロ・デ・モロの幅はせいぜい40メートルほどだ。規制しなければ距離など保てない。中に入ってしまえば時間制限はないので、入れ替わりは少ない。数時間は待つであろう列を前に、引き返すことを決断するのに時間はかからなかった。行列ができる浜辺を見たのは初めてのことだ。
その日の宿をとったのは近くの漁村、カラ・フィゲラだった。
「カラ・フィゲラはわたしのひらめきの源であり、わたしの隠れ家だった」
マヨルカ出身の詩人、ブライ・ボネットはそう表現している。
運河のようなつくりの小さな港には漁船が無数に浮かび、その横で漁師が網を補正している。寄せては引いていくさざなみの音色をききながら、詩人は韻の響きを味わっていたのだろう。
坂の上にある、予約したアパートはとても古かった。スペイン内戦時代からそこにあったんじゃないかと思えるほど、家具はたしかな歴史を重ねていた。リビングには古いソファが置いてある。宿泊してきた先人たちの汗がしっかりと染み込んだ、味わい深いソファだった。
島の白ワインを愉しむ
旅行鞄を置き港へと向かい、2番目に目にした食堂に入った。カルデレタ・デ・マリスコ(魚介スープ)と島の白ワインを愉しむ。
すぐそばの港で揚がった魚介が並ぶいくつものテーブルの下を、太った雌猫がその日の夕食にありつこうと歩いていた。彼女にもきっとコロナは影響したはずだ。ほぼ1年間に渡って、島の多くのレストランは閉鎖されていたのだから。
夕暮れどき、店は満員になった。彼らは新鮮な魚を食べ、何本かのワインをあけ、そして翌日にはどこかの浜へと向かうことだろう。地中海の片隅で送る自由と放埒の日々。北の国だろうか、聞き慣れない言葉の響きが漁村の夜を包んでいた。