さいたまスーパーアリーナで開催された2014年世界選手権。羽生結弦は世界選手権初優勝を果たす。写真=ロイター/アフロ
目次

(取材・文:松原 孝臣 撮影:積 紫乃)

平昌五輪で苦しんだ移動と言葉の壁

 スケートリンクの運営管理、体育館やアリーナを大会やアイスショーができるようリンクに仕立て、フィギュアスケートにおいて必要不可欠な存在となった株式会社パティネレジャー。

 長野オリンピックにも携わったが、もう1つかかわったオリンピックがある。2018年の平昌オリンピックだ。

「(平昌オリンピックの)組織委員会から要請がありました。2015年に代々木第一体育館で行なわれた世界フィギュアスケート国別対抗戦を視察されていたようです。当初はサブリンクを仮設で、とのお話もありましたが、結局、常設リンクを2面設けるということで、ただ管理するスタッフが足りないということから派遣することになりました」

 フィギュアスケートは試合を行なうメインリンクと練習を行なうサブリンクを要する。その管理に携わることになり、最終的にはアイスホッケーのリンクに3名、フィギュアスケートのリンクに2名を送った。

「大変だった、と言っていました。長野のときは近くにアパートを借りましたしリンクにも控室がありました。平昌では移動の時間もけっこうかかったそうです」

 実際に現地でフィギュアスケートのリンクの任務にあたった尾﨑繁之は言う。

「大会が始まる前から約1か月間、滞在しました」

 メインリンクとサブリンク双方の管理に他の国のスタッフとともにチームとして携わった。

「チームリーダー、サブリーダーはフランスの方でアメリカ、韓国の方もいました」

 韓国のスタッフとは以前からつきあいがあり顔見知りだったが、他の国の人々は初対面だった。

「それぞれ、管理のやり方が違ったので合わせながら進めました」

 そこで苦しんだのは言葉の壁だった。

「専門用語もあるので、決して簡単ではなかったです」

 そんな苦労も重ねつつ、試合ではメインリンクの脇から日本の選手の滑りを見守った。

 記憶に残るのは2つ。1つは羽生結弦のオリンピック連覇の瞬間だった。

「やっぱり、あれだけの瞬間に立ち会えるなんてなかなかないことですから。くまのプーさん(のぬいぐるみ)がリンクに飛んでくる光景も焼き付いています。羽生選手はじめ日本選手の活躍がうれしかったです」

 もうひとつの記憶は、日本の選手たちと顔を合わせた時、挨拶をしてくれたことだ。

「うちで運営管理しているリンクで練習している選手もいますし、大会でも接する選手もいて、みんな、挨拶してくれたのも覚えています」