イタリアの家具や建材は、もちろんテラス以外でも使われている。階段や床に敷きつめられる幅の広い木材は、イタリアのオーク。日本では育たない大きさの樹に由来するものだ。大理石の一種であるトラバーティンを使ったテーブルも置かれる。重さ540㎏。北イタリアの教会にあったパイプオルガンの一部もインテリアとして使われている。アンティーク家具もリペアされて設置されている。こうした重厚なイタリアの建材や家具などがすべて空輸され、表参道の店舗におかれているのだ。なんと贅沢なことだろう。
虚栄ではなく、文化に対する付加価値
そんな家具や建材は、イタリアらしさを伝えるためだけではなく、クチネリブランドのラグジュアリー観を表現することにも貢献しているように見える。
クチネリのアパレル製品は、一部をのぞいて、ブランドの特徴がわかりやすく示されているわけではない。ロゴや個性的なデザインによって「クチネリだ」とわかるようには作られていないのだ(もちろんそのクオリティの高さから、見る人が見ればわかるだろうけれど)。
クチネリの著書からもうかがい知ることができるが、おそらく彼の製品を愛する顧客は、ブランドの力を借りて自分を他者にアピールするようなことには関心がない。最高品質を好み、上質な服を長く大切にしながら身に着けたいと願うものの、ブランドロゴによって社会的な意味づけをされることは好まない。「できるだけクチネリとわからないように作ってくれ」という顧客からの要望もあるそうだが、いわば、虚栄が見え隠れする社会的な意味付けやトレンドから無縁のところで心身の快適を提供するのが、クチネリのラグジュアリーというわけである。
その「快適」には、よいものを修理して使い続けるというサステナビリティの精神や、職人の尊厳を守ることで創造性を発揮させるというフェアな経営者の哲学や、イタリアの自然と文化を誇りその価値を継承するといった地元への貢献も含まれる。顧客はそのような企業文化に価格以上の価値と良心の満足を見出し、高価格を支払う。これからのラグジュアリーには、そうした要素が不可欠になっているのだ。
イタリアの誇りを伝える建材や家具、丁寧に修復されたアンティーク群は、職人の創造性が発揮されたニットとともに、価格を超えるタイムレスな価値のあるラグジュアリーの提供者としてのクチネリブランドの性格をより明瞭に伝えている。手間暇かけてイタリアから運ばれてきた甲斐は、十二分にある。
『人間主義的経営』は、クチネリの体験やそこから生まれた思想をわかりやすく解きほぐした本としてばかりではなく、地球と人間に優しいこれからの資本主義のあり方を示す一つの模範例としても話題になっている。「ブルネロ クチネリ表参道店」は、そんなクチネリの思想を体感するための、稀有な空間になっている。イタリアと日本が融合したクチネリワールドに没入しながら、10年後、100年後に思いを馳せ、ソロメオ村の人々や古代ギリシアの哲学者とのつながりを感じつつ服を選ぶ。いや、服を着る自分の在り方を選ぶ。社会や人に、どのように向き合う在り方を選ぶのか。そこまで考えさせる店舗である。