社会不安での人種差別+負の情報拡散=ヘイトクライム
1980年代、日米貿易摩擦の下での日本車排斥運動では、不幸にも中国系アメリカ人男性が日本人に間違えられ殺害された。このデトロイトの事件だけでなく、ロサンゼルスの大暴動では、韓国系住民の地域をも巻き込んだ。9.11では、アラブ系住民がヘイトクライムの被害にあったことを記憶している人は多いと思う。19世紀末から20世紀初頭、西海岸では中国人や日本人労働者の排斥法が可決されているし、そのあとの日系アメリカ人の強制収容も歴史に刻まれている。
ここで少々意地の悪い話をする。1918年から1920年、最初のH1N1亜型感染の報告がされたのはアメリカの陸軍基地だった。第一次大戦中のスペインは情報統制下になく、初期にスペインからこの感染拡大の情報がもたらされたために、”スペイン風邪”と呼ぶようになったのだ。もしそのとき、今のような情報伝達システムがあったとしたら”スペイン風邪”などとは呼ばれずに、最初の症例が報告された地に因んで”アメリカ風邪”とされていただろう。
COVID-19パンデミックのなか”イギリス変異株”などと国名を使ったことは正しかったのであろうか? つい最近になってアメリカ国内ではその名称を”B117”と変更している。日本でも同様の動きがあると聞く。少し心が軽くなった人も少なくないと思う。
入植者とマイノリティ
先住民、そのあと入ってきた入植者たち、そして入植者たちが強制的に連れてきた人々との関係性が人種差別の温床だ。今さらながらアメリカが抱える白人と有色人種との確執を知らされる。白人入植者は、その数と知恵で圧倒し先住民をいとも簡単にマイノリティに追いやったのだ。
アメリカンインデイアンはいまだにインデイアン居留地で暮らす人たちが多い。貧困や薬物中毒の問題に悩んでいる。アラスカ州周辺に住み暮らすイヌイットと呼ばれる先住民族も同様である。日本人には最もなじみ深いハワイは元王国である。ハワイ語でハオレと呼ばれる白人がパワーでアメリカの一部にしたといっても過言ではない。
『Hawai’i 78』は、卓越した才能で知られるハワイ州出身アーティストIZこと、
Israel Kamakawiwoʻole(イズラエル・カマカヴィヴォオレ)の代表曲のひとつ。失われた美しいハワイに対するあふれる愛を感じる名曲だ。IZは、かつてのハワイ王や女王が変わり果てた現在のハワイの姿を見たらどう思うだろう、と静かに嘆く。本当のハワイを取り戻そう、と歌う。心が痛むのは私だけではないと思う。
人種差別はアメリカの特異な問題なのか? いや、決してそうではない。人種差別は宗教がからみ、さらに問題を複雑化させている。旧宗主国の無謀ともいえる国境の線引きでなどで生じた、様々な問題も世界には存在している。
中国のウイグル族に対する処遇は、人権問題として国際外交に大きく取り上げられている。ミャンマーにおけるロヒンギャもそうである。韓国では、中国出身の朝鮮族の人たちへの世間の風当たりは強いと聞く。アフリカにおいても複数の部族による集合体であるため、一つの国家を信条的に確立できず内紛を起こすという例がいくつもある。日本も沖縄やアイヌ民族、在日朝鮮半島系(北も南も)、中国系と、様々な問題が多かれ少なかれ存在している。
途上国の若者が”実習生”として日本で仕事をしているが、そこでも差別が存在するようである。南アメリカに目を向ければ、パタゴニアの先住民は、ヨーロッパからの入植者がもたらした病気により、免疫力がないためほとんどの種族が滅びている。南アメリカ・フエゴ諸島の南端の島々に存在し、日本人とおなじモンゴロイドのDNAをもつヤーガン族もまた、私が訪れた2016年、純潔な血統をもつ人としては老女がひとり残っているだけと聞いた。
ヨーロッパに目を向けると、古くから存在するユダヤ系の人たちや、ロマ(ジプシーとされる集団のなかで、主に北インドのロマニ系に由来し中東欧に居住する移動型民族)と呼ばれる人たちへの迫害や偏見があった。ドイツでは30年ほど前から、労働力不足を補うため大量にトルコ系の移民を受け入れた。結果、現在ではフランクフルト駅前はトルコ料理のレストラン街となっている。また近年、中東の国々の紛争は多くの難民を発生させた。北欧やヨーロッパの国では多くの難民を受け入れ、人種問題が表面化し政治的アジェンダとなっている。
外国人のスキルや労働力を受け入れることで経済が維持される。難民を受け入れることが当たり前となっている世界では、ホモジーニアスな社会であるがゆえに安易に成立してきた、NORM(社会の標準的規範)の維持が難しくなっているのではないだろうか。
エキゾチック
少し話はそれるが、ひとつの民族が別の民族を支配しようとするにはいろんな方法がある。そのなかで、いちばん簡単なものは言葉であろう。先住民の言葉をなくしてしまうことだ。現在アメリカンインデイアンで、それぞれの種族の言葉をつかえる人はどれくらいだろう? ハワイでは、学校でハワイ語を教えることを法律で禁止していた時期があった。ハワイではなくサンドウィッチ諸島と、ハワイ諸島の旧称で言われたら全く違うイメージを描いてしまう。さいわいハワイはハワイ語の地名が多く残されており、その地名の意味を知ることで文化をより深く理解することができる。
ニューヨークでも、マンハッタン、ポキプシー、ロンコンコマなど、先住民の言葉が使われているところが残っているが、ニューヨークという地名も含め入植者の祖国への思いからか英語名がほとんどである。日本はどうであろう。やまと人は北方民族や琉球王国に対してはどうだったのであろう?
アメリカのテレビや映画でも多くのばあいアジア系の俳優はエキゾチックな存在として配役され、ハワイやチャイナタウンのロケや戦争映画、マーシャルアーツの作品は別として、日常のシーンで登場することはあまりなかった。エキゾティックとロマンティックを結びつけるとポジティブなイメージになるのかもしれない。とてもシニカルなものの見方だろうけれど、エキゾティックと思うとき、それは”コンキスタドール”の眼で見ているのではと私は心配になる。
最近テレビ番組でもアジア系映画の人気もあってアジア系俳優が主人公の番組が多くなった。また、BLMに始まった人種差別に対する運動と呼応して、テレビのCMでも白人以外俳優の登場が目立って多くなってきた。これが一過性のものでなくニューノーマルになることを期待したい。