写真・文=橋口麻紀

ロンバルディア州都ミラノの象徴、ドゥオーモ・ディ・ミラノ

 パッセジャータ(お散歩)をするコトは、なぜイタリア人の人生を語るうえで欠かせないコトなのか? それによって平穏な気持ちでいられる理由は? ミラノとモデナの風景と共にお届けします。

 

ゾーナ・アランチョーネのミラノ

 ひさしぶりに嬉しいニュースが舞い込み、マスク越しからでも少し笑顔が感じられる2月のイタリアです。それというのも、私たちが住んでいるエミリア=ロマーニャ州とミオ・マリート(私のだんなさま)の生まれ育った、ロンバルディア州の規制レベルが、ゾーナ・アランチョーネ(オレンジ・ゾーン)からゾーナ・ジャッロ(イエロー・ゾーン)に昇格となったのです。

 ファミッリア(家族)と一緒に過ごすことができない年末年始を過ごし、規制緩和に期待を込めて過ごしたものの、感染者数の減少はみられず。結果バールは持ち帰りのみ、トラットリアやリストランテはほぼクローズド、22時以降の外出禁止などと、規制レベルが2番目であるオレンジ・ゾーンで過ごした1月。レベルが3番目であるイエローに昇格したことは、私たちにとって寒さのなかに小さな春を感じるような嬉しさです。

 そんなオレンジの1月でしたが、久しぶりにミラノを訪れました。しかしそれは朝方ということもあってか、あまりにも閑散とした風景でした。

 ミラノであってミラノではない、まるでこれから何かの撮影でもはじまるのではと思うほど。平時であれば、ガッレリア(ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のアーケード)やドゥォーモ(ミラノ大聖堂)は、溢れるほどのヒトが集っているところ。世界のビジネスパーソンやイタリア内外を含めた観光客が街に潤いをあたえ、経済的な効果につながっていたのですね。

 静まり返ったミラノは、世界中からのゲストの来訪を祈りと共に心静かに待っているかのようでした。

ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア。イタリア王国の初代国王の名にちなんだアーケード
平時は多くのゲストでにぎわっているヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガレリア内にある老舗レストラン「リストランテ サヴィー二」。朝食テイクアウトのみでの営業
閑散としたドゥーォモ・ディ・ミラーノ前の広場
レオナルド・ダ・ヴィンチの大作壁画「最後の晩餐」がある、おなじみのサンタ・マリア・デッレ・グラッツェ教会

 ミラノ郊外の実家からクルマで小さな個人商店が軒を連ねるコルソ・ヴェルチェッリへ。そこからサンタ・マリア・デッレ・グラッツェ教会を眺めながらチェントロ(市街地)まで約5kmのパッセジャータ。で、この風景を目にしたのです。

 日本人のわれわれからすると、お散歩はそれ以上それ以下でもないものです。ですから当初はなぜみなが口を揃えて、Facciamo bella passegiata(ファッチャーモ ベッラ パッセジャータ=お散歩をしましょう)と言うのかとても不思議でした。が、ミオ・マリートは「人生において欠かせないパッセジャータが出来たことで、ゾーナ・アランチョーネ時であっても平穏な気持ちでいられたのだよ」と言うのです。

 

パッセジャータは街に水を与える

 1月の外出といえばスーパーに食材のお買物、バールはテイクアウトのみ。しかし、州内のパッセンジャータはOKと政府からの発令! やはりイタリア人にとって大事なコトなのです。実際にパッセジャータ専用のレーンがあるのですから。

モデナにあるパッセジャータ専用レーンのサイン

 パッセジャータは毎日です。レベル3のゾーナ・ジャッラの今も変わらず、朝と夕にするのが私たちのスタンダートです。移り行く季節を感じながら、気が向くままのトピックをおしゃべりしながらただ歩くのです。ランチやディナーのメニューを決めることも多い。行き交う人たちのほとんども、食事にまつわる会話です。どこを切り取ってもここはイタリアと実感する瞬間でもあります。

ピアッツァ・ローマでパッセッジャータ中のモデネーゼ

 さてリモートワークが続き、州をまたいでの外出もできないなか、パッセジャータはストレス発散という効用だけなのでしょうか。

 「なによりも社会というコミュニティーに自分がいるという感覚が得られる。さまざまなヒトたちがこの街で生活をしている、という実感が安心につながるし、ぼくたちがパッセジャータをすることで、街に水を与えているよ。街はヒトがいないと活気がなくなってしまうし、ヒトがいてはじめて街として完成する。パッセジャータをすることは、自分たちのためだけではなく、街にもとても必要なことなんだ」とミオ・マリート。

 街に潤いを与えるのは、ヒトとヒトがその地でコミュニケーションをとり、街もヒトも昇華することなのだと、改めて感じいりました。それは実のところ、とても基本的なことなのだと。静寂なミラノに潤いがないと感じたのは、あながち間違えではなかったようです。

モデナ旧市街でのミオ・マリート

ローマ帝国時代のパッセジャータは、SNS?

 イタリアの都市のほとんどにはピアッツァ(広場)があり、そこには昼夜を問わず人々が集っています。モデナのピアッツァにはモデネーゼが、ミラノのピアッツァにもミラネーゼが。日常の会話のなかで、ローマ帝国時代のたとえを出すことが多いミオ・マリートはこう言います。

 「昔からイタリアではピアッツァに人々が集って、そこで交流をしていた。広場ではパッセジャータする人たちが情報や意見を交換したり、討論をしたりしていた。だからローマ帝国時代においてのパッセジャータは、今やぼくらの生活に欠かせなくなったSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)だった、あるいはその役割をしていたのだと思うよ」

 なるほど、そうかもしれません。これを機に、ローマ帝国の人々の日常の生活を勉強し直してみようと思っています。イタリアの古生物学者であり、歴史と科学のコミュ二ケーターでもあるアルベルト・アンジェラ氏の著書『古代ローマ人の24時間』にも、「ローマでの生活の基本をなすものは、まるで蜘蛛の巣のようにはりめぐらされた、住民どうしの関係によってうみだされたものだった」 というくだりがあるのですから。

モデナの広場といえば、ここピアッツァ グランデ モデナ。世界遺産にも登録をされています

 まだまだ規制が続くエミリア=ロマーニャ州のモデナですが、今日もいつもと変わらずパッセジャータをして一日を気持ちよくスタートさせました。パッセジャータをしながら街と共存し、本当の意味での春が来ることを願うばかりです。