写真・文=橋口麻紀

オレンジゾーンのエミリア・ロマニャー州モデナの朝

第2波のイタリアから見えるコト

 2021年のはじまりです。イタリア人にとって、一年でいちばんたいせつなナターレ(Natale=クリスマス)からはじまる年末年始休暇です。例年であればファミリッア(家族)が集うので、ナターレで囲んだディナーの話や今年のヴァカンツァ(夏休み)の相談でマンマ(ママ)を中心におしゃべりをしているところです。が、いまのイタリアはEU圏のなかで比較的感染者数も抑えていた、昨年秋のイタリアとはまったく景色が変わってしまいました。2021年のはじまりは、ナターレに会えなかった思いをおしゃべりすることとなってしまったのです。

 隣国同様に、昨年12月に入り感染で亡くなった方が過去最高を記録し、新たな規制を発表したイタリア。その規制とは、まさに年末年始休暇である12月24日から1月6日までは州をまたぐ移動を禁止。これはイタリア人にとってファミリッアとナターレに会えないという、いちばん厳しい規制でした。

 とはいえ、法学者でもあるジュゼッペ・コンテ首相は「われわれは経済に打撃となる本格的なロックダウン(都市封鎖)を避けるために、対策に取り組んでいる」とし、感染の度合いを州ごとで高い順にレッド(行動が家の近所のみ、リストランテなどはクローズ)、オレンジ(オレンジ内は移動OK、リストランテ・バールはテイクアウトのみ)、イエロー(リストランテ、バールは18時までの営業)の3つに色分けして対策を変えると発表しました。結果、全土がレッドゾーンになり、年末年始の州をまたいでの移動禁止は現実となったのです。

 ミオ・マリート(私のだんなさま)が住むモデナは、ナターレの前にオレンジを経てイエローゾーンに変わったエミリア・ロマーニャ州に位置しています。結果いまはレッドゾーンですが……。

 オレンジゾーンだった時は街を行き交う人もまばらでリストランテもお休みでした。ですからイタリア人の朝のルーティンには欠かせない、バールでカフェをすることもできず、テイクアウトのみになっていたのです。

はじめてのテイクアウトのカフェ

 まさか、カフェ(エスプレッソ)をあたためられた小さな陶器のカップではなく、スターバックスのようなカップで飲むことになるとは! と、ミオ・マリートは肩を落とし寒空の下冷めかけたカフェを飲み、一日をスタートさせていました。

 このようにイタリアは、生活の規制を再び強いられています。そして以前のようなロックダウンになってはいないものの、政府が発令する規制に多くの国民が反発をしているのが、第2波に直面しているイタリアです。規制をなかなか受け入れられず、多くのイタリア人が困惑を隠せないなか、ミオ・マリートは落ち着いていました。日本に長く住んでいたことで、“しょうがない”という日本独特のコトバを学んだせいなのか。

 さて、ひさしぶりに書かせていただく『フツーに真面目なイタリア男の物語』その第7回は、ミオ・マリートがコロナ禍第2波のなか、ラ ヴィータ(人生)についてあらためて語ったこと、その思いについてです。

モデナの市街

出来ることをカウントする

 オレンジからイエローゾーンになった朝、ミオ・マリートが真っ先に向かったのはもちろんバールです。テイクアウトでなく、店内でカフェができることになり、少し日常に戻ったモデナのチェントロ(市街)が見える席でリモートワーク前のひとときを過ごしたのです。

 昨日までできなかったことが、今日はひとつできる。それだけで昨日とはちがってハッピーな気持ちになる、と。

朝のルーティンが再開されました。バールも再開です

 モデナでの生活をスタートして以来、私はイタリア人の日々の言動に耳をそばだてています。彼らは、どこにいても必ず誰かが何かに意見をしています。総じて感情表現がストレートで羨ましかったり、パッショーネ(情熱)を感じたり、とポジティブな印象が多いです。が、このたびのコロナ禍という“有事”においては、ネガティブなほうに感情が転んでいる気がします。出来ないことをカウントしている話が多いのです。

 そんななか、ミオ・マリートは出来ることをカウントし、私を穏やかにさせてくれています。まわりの喧騒をよそに──。

 

人生はどんな時でも続いていく

 「コロナ禍でも季節はめぐる。規制があるなかでも小さなハッピーを見つけ、会いたくても会えないひとには、いままで以上に自分の気持ちを言葉で伝える。そしてゴハンをたべ、自分自身をたいせつにするコトを忘れずに、いつもどおりに生きていかなくてはならないね」

 そしてミオ・マリートは笑顔で続けます。「ラ ヴィータ コンティニュア(La Vita Continua)だよ。人生はどんな時でも続いていくのだから。いまイタリア人は少しパニックになっているけれど、みんなが強くならないといけないね」。あらためて、この第2波でイタリア人であるミオ・マリートのゆるぎない“ラ ヴィータ”への思いを知る好機となったのです。

 2020年は、世界中の人たちが予想もしていなかった困難な状況でそれぞれが生きてゆく、忘れられない年になりました。それでもモデナの街は毎年と変わらぬ年末年始のデコレーションで、2021年を迎えたのです。

 2021年が、それぞれの人生に希望と彩りがある年になりますように。

 今年もよろしくおねがいします。