パレルモの帽子屋〝パノルムス〟

 パレルモの目抜き通りにある洋品店はどこもこの帽子を扱っているのだが、その値段は40ユーロ程度と、なかなかリーズナブル。しかしここで買ってしまうのはまだ早い。パレルモ市内にはコッポラ帽の工房兼ショップがあり、全く同じものがさらに安く手に入るのだ。

パレルモの旧市街に工房を構える帽子店「パノルムス」。なみに店名は、パレルモのラテン語読み「Panormus」にちなんでいる。住所/Corso dei Mille,5 Palermo

 〝Antico BERRETTIFICIO PANORMUS(アンティコ ベレティフィチオ パノルムス)〟、「老舗帽子屋パレルモ」を意味するこの工房は、なんと創業1908年。職人歴60年を超えるカタンザーロ兄弟が、たったふたりでコッポラ帽をつくり、パレルモ市内の洋品店に卸している。裁断して、木型に生地を沿わせて、アイロンをかけて……。うなぎの寝床のように細長い工房で、仲よく机を並べて作業をする彼らの姿は、実に微笑ましい。

生地をハサミで裁断する兄のコジモ・カタンザーロさん。縫製以外はすべてハンドメイドだ

 念のため断っておきたいのだが、彼らのつくる帽子はハンドメイドではあるが、いわゆる高級品や一流品といった類のものではない。使っている生地は安価なものだし、縫製もちょっと雑だから、ところどころで糸がほころんでいる。もちろんトレンドなどとは無縁である。そう、〝パノルムス〟の帽子とは、かっこつけるためのものではなく、日常のためのスタンダード。近所にあるとうれしい定食屋さんのような、けれん味のなさこそが魅力なのだ。 

工房でもあり、倉庫でもあるスペース。ごくわずかにハットも扱っているが、やはりここで買うべきは伝統的なコッポラ帽だ。通りを隔てた向かいには、ショップ専用のスペースがある

 街場の定食屋さんに、食材や調理法にかけるこだわりをあれこれ聞き出すことがとても野暮であるように、カタンザーロ兄弟にいろいろと質問したところで無意味。生まれたときから当たり前の仕事をやっているだけの彼らから、取材映えするドラマチックな言葉なんて出てくるはずもない。僕が「この仕事は好きですか?」と聞いたところ、弟のサルヴァトーレさんはニヤリと笑みを浮かべて「嫌いだったら60年もやってないだろう?」と答えてくれた。それだけで十分だ。

膨大なデザイン、生地、サイズをそろえた「パノルムス」のストック。日本のショップもたまに買いつけに来るとか

60ユーロの帽子は高いか?安いか?

 僕が2014年にはじめてここでコッポラ帽を買ったとき、その価格は生地にもよるが、18ユーロ〜30ユーロ程度。「買い物天国」と謳われたリラ時代のイタリアを彷彿とさせる値付けに驚かされたものだった。果たして2018年はいくらで帽子を買えるのか? お気に入りの帽子をいくつか選んで兄のコジモさんに手渡したところ、すかさずチャラチャラした格好のオジさんが登場。彼はイタリア語でコジモさんに何かをまくし立てると、僕に「ひとつ60ユーロ」と告げたのだった。おそらく「オヤジ、こんな安い値段じゃ商売になんないだろ?」とでも吹き込んだのだろう。

 彼の風体から察するに、おそらく帽子づくりには携わっていないようだ。だとすると、とても寂しいことだが、100年を超える歴史を持つ工房も、この兄弟の代で終焉を迎えることになる。

工房の向かいにあるショップスペース。写真は弟のサルヴァトーレさんと、その奥様だ。

 規模こそ様々だが、世界中の至るところで、そんな風にして歴史のあるファクトリーや名店が途絶えつつある。なかにはブランド化することで生き永らえる老舗もあるが、そんなのはごくわずかな例にすぎない。これもひとつの寿命と考えれば、われわれにできることはたったひとつしかないだろう。彼の言い値のとおり、僕はひとつ60ユーロの帽子を購入して店を出たのだった。

〝パノルムス〟の帽子に縫い付けられたタグ。3本の足をあしらったマークはシチリアの古いシンボル「トリスケル」、「Kalos」はギリシャ語で「美」を意味する言葉だ。ずいぶん壮大なイメージだが、実はそれほど大きな意味はなく、同じタイプの帽子でも別のタグがついていたりする。そんなゆるさも、この帽子の魅力かもしれない!?

 買ったばかりのコッポラ帽をかぶってシチリアの街を歩くと、行く先々で同じような帽子をかぶった老人たちの集団に呼び止められ、彼らの井戸端会議に参加させられる。もちろん言葉なんて通じないけれど、自分がこの街に受け入れられたような気持ちになるのだ。彼らとこの帽子が消えたシチリアなんて、僕は寂しすぎてとても想像できない。