レースこそ製品を開発する最速の手段

 デイヴィド・ブラウンもまた、レースこそ製品を開発する最速の手段であり、最良の広告になると信じていた。それゆえ、DB時代のアストン・マーティンも積極的に国際レースに参戦し、1959年には世界スポーツカー選手権の王座を獲得するなど、輝かしい成績をおさめる。

 このとき活躍したドライバーのひとりが、さる4月12日に90歳で亡くなったスターリング・モスだ。“無冠の帝王”と呼ばれた彼は、F1選手権の王者にもっとも近い男だと見なされていながら、ついに一度も果たせずに終わった。わざわざモスの名前を出したのは、彼の残した名言をご紹介したかったから。

“There are two things no man will admit he cannot do well: drive and make love.”

男には、うまくできないと認めたくないものがふたつある。ドライブとメイク・ラブだ。

 セクハラがセクハラではなかった時代の産物が、イアン・フレミング創作のスパイ「007」である。映画でショーン・コネリーが演じた1960年代のジェームズ・ボンドは、間違いなく当時の男子の憧れだった。世界平和のために世界を飛びまわる、ビスポーク仕立ての 高そうなスーツを着た公務員。高そうなお酒もギャンブルも、危険な美女の接待も仕事のうちで、アストン・マーティンDB5を乗り回し、ヒマがあれば女性を口説く。ダニエル・クレイグ版の21世紀のボンドはタバコも吸わず、女性にもストイックになったけれど、愛車はあいかわらずアストン・マーティンで変わっていない。

 申し上げたかったのは、アストン・マーティンというブランドの魅力について、である。デイヴィド・ブラウンはアストン・マーティンに第二の黄金期をもたらした。ところが、1970年代の初めになると、トラクター事業が不振に陥り、ブラウンは結局、トラクター部門だけでなく、アストン・マーティンも手放さざるをえなくなる。

 

ふたたび息を吹き返すのは、1991年

前輪の先は短く、後輪の後ろは長く、という古典的なプロポーションを踏襲していることがわかる。背景の横浜赤レンガ1号倉庫は1913年(大正2年)竣工。日本最初の荷物用エレベーターや消化水栓、防火扉などを備えた最新鋭の倉庫だった

 アストン・マーティンは長い冬の時代を迎え、ふたたび息を吹き返すのは、1991年にフォード傘下に入ってからのことだ。その安定期は、やがてリーマン・ショックがきっかけとなって、2007年にフォードが売却することで終わりを告げる。それでも、小林彰太郎さんが書いておられるように、「この生粋のブリティッシュ・サラブレッドの存続を希う, 熱心な資本家が救いの手を差しのべ, 文字どおり灰の中から不死鳥の如く蘇る」。

 つい最近、2020年1月、何度目かの同じ類のことが繰り返された。ここのところ、アストン・マーティンは「ヴァルキリー」なるウルトラ・スーパーカーをF1のレッド・ブル・レーシングと共同開発し、限定150台のこれをスペシャルなイメージ・リーダーとして、さらにミドシップのスーパーカーを量産車に加えるべく準備中だった。同時に、同社初のSUV、DBXを開発、生産のための工場をウェールズに新たに設けたのだった。現在のアストン・マーティンの首脳陣は、次の100年を見越して、積極的な開発と投資を行っていたのだ。そのためもあって、資金不足に陥った。

 この経営危機を救ったのがカナダ人の大富豪、ローレンス・ストロールで、F1に参戦中のレーシング・ポイントF1チームの共同オーナーでもある彼が率いるファンドが、アストン・マーティンに5億ポンド (およそ673億円)投資することで合意したことが、2020年1月31日に明らかになった。これにより、2021年から、レーシング・ポイントF1チームがアストン・マーティンと改名する。

 ストロールはラルフ・ローレンをヨーロッパに持ち込んだあと、トミー・ヒルフィガーやマイケル・コースへの投資で成功した、ファッション界の大物として知られている。アストン・マーティンにますます注目である。

 アストン・マーティンは今回のコロナ騒動で公開が11月に延期となった「007」の新作にも、もちろん登場する。ただし、DB11は出てこない。けれど、現在のアストン・マーティンで、もっともエレガントかつ野性的なモデルはDB11AMRだと私は思う。

 レースに挑み、レースで培った技術でつくられたクルマは、たとえその会社が潰れようと、永遠の生命力を持つ。アストン・マーティンはそうした数少ないブランドのうちのひとつであり、007は二度死ぬけれど、アストン・マーティンは何度も死ぬ。そして蘇る。

アストン・マーティンの羽のマークと相似形にした、と想像されるLEDのテール・ライトのグラフィック。このクルマの後ろについたら、5.2リッターV12ツイン・ターボの豪快な雷鳴サウンドが聴けるだろう