文久元年(1861)、尊王志士としての活動を始めた渋沢栄一は、江戸に出向いて下谷練塀小路の儒者である海保漁村の塾やお玉が池北辰一刀流の千葉道場・玄武館に出入りを始めた。そこで渋沢は天下の有志と交流し、同志を獲得していった。