【6人死傷の玉突き事故】遺族慟哭、「高熱のまま大型トラックで首都高をフラフラ走行」が危険運転じゃないなんて… 首都高池袋線下り線で起きた事故で、荷台部分が大破して焼け焦げたトラック(左下)=2024年5月14日午前9時49分、埼玉県戸田市(写真:共同通信社) (画像1/8) 2025年4月9日、都内で開かれた遺族による記者会見。前列右から3人目が杉平智里さん。前列左端が杉平さんの遺族に犯罪被害者支援をおこなう高橋正人弁護士(写真は一部加工しています) (画像2/8) 杉平さんが運転していたハイエース。運転席は跡形もなく焼け落ちていた(遺族提供) (画像3/8) トラックと側壁の間で押しつぶされ、炎上した杉平さんが乗っていたハイエース(遺族提供) (画像4/8) 被告が自身のFacebookにアップしていたトラックの写真 (画像5/8) 妻の智里さんのもとに返還された亡き夫の所持品。プラチナのエンゲージリングは握られた左手の中から見つかったという (画像6/8) 料理好きだった杉平さんが、事故当日、家族のために作り置きしていた夕食用のハンバーグ。智里さんと子どもたちは、事故の映像が映し出されるテレビのニュースを見ながら、最後になるかもしれない父の料理を泣きながら飲み込んだ(遺族提供) (画像7/8) 子どもたちが撮影した夫婦の写真。裕紀さんのお気に入りで携帯電話の待ち受け画面に使われていたという(遺族提供) (画像8/8) 【6人死傷の玉突き事故】遺族慟哭、「高熱のまま大型トラックで首都高をフラフラ走行」が危険運転じゃないなんて… この写真の記事を読む