今回は、大河ドラマ『光る君へ』において、倉沢杏菜が演じる道長の二女・藤原姸子を取り上げたい。

文=鷹橋 忍 

京都御所 写真=mamushi/イメージマート

姉・彰子とはあまり会っていなかった?

 道長の二女・藤原姸子は、正暦5年(994)に生まれた。

 父・道長が数えで29歳、黒木華が演じる母・源倫子が31歳の時の子である。

 歴史物語『栄花物語』巻第四「みはてぬゆめ」には、「いとたいらかに女君生まれ給ひぬ」とあり、倫子はまったく苦しむこともなく、姸子を出産したようである。

 姸子の誕生時、同母姉の見上愛が演じる彰子は7歳だった。

 彰子は長保元年(999)、姸子が6歳の時に、塩野瑛久が演じた一条天皇に入内したため、姉妹といっても、二人が一緒に育ったのは僅か5年に過ぎない。

 その後も姉妹が同居したのは、長保2年(1000)に彰子が立后儀のため土御門第に帰ってきていた1ヶ月半と、敦成親王(後の後一条天皇)、敦良親王(後の後朱雀天皇)の出産時にそれぞれ半年余と、合わせて約1年で、二人はそれほど会っていなかったと推定されている(服藤早苗 高松百花 編著『藤原道長を創った女たち―〈望月の世〉を読み直す』所収 服藤早苗「第八章 次女姸子 ◎姉とたたかって」)。

 

派手やかなのは母親譲り?

 ドラマでは、華やかで贅沢な衣装や道具や宴席を好む姸子であるが、秋山竜次が演じる藤原実資の日記『小右記』や『栄花物語』などにも、そういったエピソードは多く記されている。

 姸子の母・源倫子も53歳の時に、29歳の娘・彰子と同じ青色の唐衣と地摺の裳を纏って後一条天皇の即位式見物に行っていたことが、道長の日記『御堂関白記』長和5年(1016)2月7日条に記されていることなどから、派手やかな女性だったと推察されている。

 姸子は倫子と仲が良かったと考えられており、姸子が華やかで贅沢な物を好むのは、母親に似たのかもしれない(服藤早苗 高松百花 編著『藤原道長を創った女たち―〈望月の世〉を読み直す』所収 服藤早苗「第八章 次女姸子 ◎姉とたたかって」)。