道長の嘆き
禎子内親王は万寿4年(1027)3月に、皇太子・敦良親王に入侍した。
敦良親王は長元9年(1036)に践祚して後朱雀天皇となり、禎子内親王は後に後三条天皇となる尊仁親王を産むが、姸子はそれらを見届けることはできなかった。
『小右記』万寿4年4月14日条によれば、姸子は「食事も摂られず、枯稿(枯れいたむ)は特に甚だしい」という状態になり、9月14日に34歳でこの世を去ったからだ。
『栄花物語』巻第二十九「たまのかざり」には、道長が息がかすかになっていく姸子を見て、「年老いた父母を残して、どちらへ行っておしまいなのか。私も御供につれていってくだされ」と嘆く姿が描かれている。
ドラマの姸子は、自分を政治の道具に使い、皇女の誕生を喜ばなかった道長に少し冷ややかであるが、最期に道長の愛情を感じることができるだろうか。