東宮居貞親王(三条天皇)は姸子を寵愛した?

 姸子は寛弘7年(1010)2月20日、木村達成が演じる東宮(皇太子)・居貞親王(後の三条天皇)の許に入侍する。

 姸子は17歳、居貞親王は35歳と、親子ほど年齢が離れていた。

 しかも居貞親王には、すでに朝倉あきが演じる藤原娍子という39歳の妃がおり、姸子と同じ年の阿佐辰美が演じる敦明をはじめ、四男二女の子をなしている。

 ドラマでは、姸子と居貞親王は、あまり睦まじくは描かれていない。

だが、歴史物語『栄花物語』巻第八「はつはな」には、「東宮はたいそうお年を召していらっしゃるので、(姸子のほうが)恥ずかしくももったいなく感じるほど、一通りでない気遣いをなさった。宣耀殿(娍子)をこのうえなく愛してこられたのだが、(姸子は)呆れるほどお若いので、もっぱら我が子の姫君を側に置いたようなお気持ちでいらっしゃった。日が経つにつれ、だんだんと馴れてこられた様子で、それがとりわけ可愛いらしく感じられた。毎夜の御宿直はもちろんのこと、昼間ももっぱら尚侍殿(姸子)のお部屋にばかりにいらっしゃる」と、姸子の若さへの戸惑いと、寵愛が綴られている。

 また居貞親王が、姸子が持参した調度品を片っ端から広げ、「どれもこれも見所あり」と感嘆したことも描かれている。

 天皇や東宮が通ってくるようにするためには、キサキ本人の容姿や教養だけではなく、このように目を惹く調度品も欠かせなかったという(服部早苗『「源氏物語」の時代を生きた女性たち』)。 

 

一帝二后へ

 寛弘8年(1011)6月、一条天皇が譲位し、居貞親王が践祚した。三条天皇の誕生である(以後、三条天皇と表記)。

 三条天皇は36歳、姸子は18歳の時のことである。

 皇太子には、彰子が産んだ敦成親王が立った。

 翌長和元年(1012)2月14日、姸子は立后し、中宮となる。

 三条天皇は姸子を中宮としたものの、四男二女をもうけた娍子も立后させたかった。

 同年4月27日、娍子は立后し、皇后となった。

 この一帝二后により、三条天皇と道長の間には深刻な亀裂が入り、関係は悪化しという(倉本一宏『増補版 藤原道長の権力と欲望 紫式部の時代』)。