ときに盤外衝突も?36歳で急逝した山田道美九段の勝負への執念 1965年(昭和40)の名人戦で大山康晴名人(当時42)に挑戦した山田道美八段(同31)が、第1局の対局場の東京・広尾「羽沢ガーデン」の庭園で想を練っているところ。写真提供/田丸 昇(以下同) (画像1/6) 山田が研究室で棋譜を並べている光景。棋譜を戦型ごとのファイルに分け、効率的に研究していた。 (画像2/6) 王将戦での対局光景。 (画像3/6) 棋聖戦第4局の対局光景(左は山田)。学生服を着た中央の記録係は、私こと田丸二段(同17)。 (画像4/6) (画像5/6) 私が10年ほど前に刊行した山田の評伝『熱血の棋士 山田道美伝』(日本将棋連盟)。 (画像6/6) ときに盤外衝突も?36歳で急逝した山田道美九段の勝負への執念 この写真の記事を読む