戦後75年・蘇る満洲国(10)北朝鮮国境の街、安東

【写真特集】消滅国家、満洲国の痕跡を求めて
2020.10.6(火) 船尾 修 follow フォロー help フォロー中
中国
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私が初めて丹東の街を訪れたとき、こちらに向かって手を振る乗客を満載した遊覧船が北朝鮮のものであることがわかりかなり狼狽してしまった。川に飛び込めばやすやすと中国に密入国できてしまう距離だからだ。後ろに写っている鉄橋が「断橋」で、対岸の北朝鮮側が途中からボキリと折れている。朝鮮戦争時にアメリカ軍によって空爆されて破壊される以前は、橋の中央部のブロックが90度回転して、そこを大型船舶が通行することができたという。
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「鴨緑江橋梁」の位置(印の付いた場所、Googleマップ)
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丹東から北へ約500キロ、中国と北朝鮮、ロシアの3国が国境を接する地点に近い琿春市の甩湾子橋。長さ約500メートルのこの橋は日本が建設した当時は穏城大橋と呼ばれていた。対岸は北朝鮮の訓戒という街である。終戦直前にソ連軍が満洲に侵攻してきた際、彼らがこれ以上追ってこられないように日本軍はこの橋を爆破して撤退した。12月にこの橋を訪れたとき、川はかなり凍結しており、歩いても渡れそうなくらいの川幅であった。
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丹東から北へ50キロほど行ったところに残っている「河口断橋」と呼ばれている橋は日本が建設した時代に「清城橋」と呼ばれていた。長さ709メートル、高さ25メートル、幅6メートル。橋にはこの「清城橋」という名前と、「昭和17年12月竣工」という文字が刻まれている。毛沢東の長男である毛岸英は朝鮮戦争時にこの橋を渡って北朝鮮側の戦場に赴き、そこで戦死した。橋は1951年(昭和26年)に米軍による空爆によって北朝鮮側が破壊されたままになっている。
丹東駅の北側にある錦江山公園はかつて満洲で最初の日本神社である安東神社が鎮座していた場所である。日露戦争直後の1905年(明治38年)に勧進された。祭神は天照大神。現在の中国風の大きな門は、かつての神社の鳥居を元にあらたにつくられたものといわれている。満洲では皇民化教育を進めるために295カ所の神社が建てられた。この安東神社のあった場所はかつて鎮江山と命名されていた。
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かつての安東神社があったところには遊歩道がつくられている。歩いていると、日本人の名前が刻まれた石を見つけた。おそらく鳥居の土台として使用されていた基礎の石で、寄進者の名前であるのだろう。神社のあった鎮江山の中腹には細野南岳という僧侶によって臨済寺という寺院も建立されていたという。彼は山麓にたくさんの桜の木を植えたため桜の季節はそれは見事な眺めであり、「満洲八景」のひとつと呼ばれて在住の日本人に親しまれた。
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現在の丹東市内に残存する中国工商銀行の建物は、かつての満洲興業銀行であった。出入り口の上部に不自然に文字を消した跡があったので、目を凝らしてよく観察してみると、右から左へ「満洲興業銀行」と刻まれているのを発見した。戦後に誕生した中国共産党政府は満洲国の存在を認めたくないがゆえに「偽満洲国」と呼ぶのだが、こうした満洲時代の文字はことごとく消されてしまっているのが現状である。
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駅前にあったかつての安東ホテルは現在、大幅に改修されて江城旅社という宿泊施設になっている。日本から朝鮮半島を経由して満洲に入る場所がここ安東であったため、下車してこのホテルに宿泊する人はけっこういたと思う。現在、観光目的でこの街にやってくる人の多くは鴨緑江沿いに建つ高層ホテルに宿泊することだろう。
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駅からもほど近い場所にあった満洲時代の大和小学校は最近まで遼東飯店というホテルとして使用されていたが、私が訪れたときはすでに廃墟になりつつあった。校舎の壁には「毛沢東思想万歳」という文字が大書きされていたが、こういうスローガンも最近の中国では見かけることがあまりなくなってしまった。
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かつての安東高等女学校は現在、丹東市第六中学として当時の校舎はほぼそのまま使用されていた。古い建築物というのは廃墟はそれなりに趣があって私は好きだが、しかしこうして大事に修復されながら使用されている姿を見る方がもっと好きである。1940年(昭和15年)に行われた国勢調査によれば、当時の安東市の人口は約32万人。そのうち日本人(内地人)は4万7000人、朝鮮人は2万3000人であった。
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水豊ダム周辺は軍事管理地区になっているため訪れることはできなかったが、満洲国時代のもうひとつの巨大ダム事業であった吉林省の豊満ダムは見学することができた。こちらは1937年に建設が開始されたものの、8割方完成したところで終戦となった。当時の計画では長さ1080メートル、高さ91メートル、出力40万キロワットの水力発電施設であった。新生中国になってから工事は完成され、現代にいたるも発電は続けられている。中国東北部で重化学工業が発展した基礎は満洲時代に築かれたともいえるだろう。2017年に撮影したこの写真の後ろに見えるダムが当時のオリジナル部分だが、老朽化のため手前に新しいダムを建設し、この結果2018年になってから古いダムは爆破されてしまった。
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