「清浄野菜」とサラダ油で発展した戦後のサラダ文化 「栄養と料理カード」でたどる昭和レシピ(12)サラダ 2020.4.17(金) 三保谷 智子 フォロー フォロー中 食 芸術文化 シェア14 Tweet この写真の記事へ戻る 日本でも定着しきっているサラダ。だが、生野菜の食文化は西洋由来のものである。 1954(昭和29)年3月号「清浄野菜の話」。食品衛生の話題も積極的に記事にした。当時の食生活は貧しく、米の食べ過ぎでおかずが少ない栄養不足状態。1日1回はパン食にして牛乳やバターなどをとろう、という啓発運動もあった。油の摂取量は世界最下位で1日1人あたり5g程度(必要量は脂肪として1日30g)。 拡大画像表示 1954(昭和29)年7月号の「栄養と料理カード」。野菜2種のシンプルな組み合わせだが、作り方はていねいで、下ごしらえにもあえ方にも手をかけている。 拡大画像表示 1956(昭和31)年7月号のグラビアと記事「清浄野菜を食べましょう」。アスパラガスの和名は「西洋うど」。ビーツやルバーブがすでに日本で栽培されていたことに驚く。野菜の衛生と鮮度を保つための冷蔵ケースを備えた店は珍しかった。 拡大画像表示 1960(昭和35)年2月号。ゆでてあるカリフラワーが形のままどんと器の中央に盛ってあり、意表を突かれる。2枚の器に各種野菜を大胆に盛りつけ。放射状のセロリにはイクラをのせてボートに。その間にエンダイブを敷き、缶詰めの桃をカップにマヨネーズとチーズを乗せている。この号の表紙は、1964年東京オリンピックの公式ポスターをデザインした亀倉雄策氏によるもの。肩書は「商業デザイナー」。グラフィックデザイナーの役割が広く社会に認知され始めた時代だ。 拡大画像表示 1972(昭和47)年2月号の「栄養と料理カード」。芽キャベツのサラダは、ゆで卵を刻み、ミモザの花のようにかけてレモンとバター風味の味わいで。ブロッコリーのサラダは、刻んだトマトと玉ねぎ、パセリに酢と油、塩を混ぜ合わせたラビゴットソースで。 拡大画像表示 1973(昭和48)年1月号の「栄養と料理カード」は、「料理の基本」としてフレンチドレッシングとそのバリエーションを収載。写真では4種、裏面ではドレッシング8種を紹介している。彩りも豊か。応用は自由自在。 拡大画像表示