切り紙絵の大作とロザリオ礼拝堂
1943年、74歳のマティスはニース郊外ヴァンスにアトリエを構え、切り絵とデッサンの制作を続けました。切り紙絵は次第に大きなものになっていき、1950年代に制作した今回来日している《仮面のある大装飾》(1953年/ニース市マティス美術館所蔵)は、353.6×996.4cmという大きさです。花びらのユニットの中に切り絵としては珍しい、人の顔が表現されています。
また、青一色でヌードを表現した切り紙絵《ブルー・ヌード》(第3回参照)は、今回の来日作品《ブルー・ヌードⅣ》(オルセー美術館所蔵)をはじめとする4点のヴァリエーションがあり、すべて彫刻作品のように片膝を立てたポーズをしています。マティスは絵画、彫刻、デッサンといった要素すべて、この作品で表現しようとしました。
ほかにも185.4×1643.3cmの大作《スイミング・プール》(1952年/ニューヨーク近代美術館所蔵)は、青一色で生き生きとリズミカルに泳ぐ人を表現し、まさに建築空間と結びついた装飾になっています。
1947年から始まったのが、ヴァンスのロザリオ礼拝堂の計画です。腸閉塞のマティスを看護したモニーク・ブルジョアという女性が修道女になり、戦火で焼けた礼拝堂のステンドグラスのデザインをマティスに相談しにきました。
無神論者だったマティスですが「この礼拝堂は私にとっては全生涯の仕事の到達点であり、莫大な、真摯で困難な努力の開花であります。」(『マティス 画家のノート』二見史郎訳/みすず書房)と語って、礼拝堂の設計と装飾を無償で引き受けます。また、肘掛け椅子のような芸術を目指したマティスは「礼拝堂を訪れる人たちが心の軽くなる思いをすることそれが私の望みです。」(同『マティス 画家のノート』)と言って、礼拝堂の仕事に心血を注ぎました。
切り紙絵をもとにした生命の木のステンドグラス、線画の聖ドミニコ、聖母子、「十字架への道」の14場面のタイル壁画のほか、燭台、ドアノブ、司祭服に至るまで、マティスはすべて計算して作りました。1951年、4年の歳月をかけて完成した礼拝堂は、当初「神への冒涜だ」と非難を浴びましたが、次第に人々から安らぎを覚える、という言葉が聞こえ始めます。
今までの画面空間のあり方を変え、ステンドグラスから差し込む光まで取り込んだ新たな空間を創出した礼拝堂は、まさにマティスの集大成といえるでしょう。親交のあった建築家のル・コルビジェは礼拝堂を評価する手紙をマティスに送っています(今回のマティス展では礼拝堂を体感できる空間が再現されています)。
礼拝堂完成の3年後の1954年11月、84歳でこの世を去ったマティス。最後まで切り紙絵を制作していたといいます。
ピカソが「嫉妬したのはマティスだけ」というその才能を、生涯を通して余すことなく発揮した画家といえるでしょう。
参考文献:
『マティス 画家のノート』二見 史郎/翻訳(みすず書房)
『マティス (新潮美術文庫39)』峯村 敏明/著(新潮社)
『もっと知りたいマティス 生涯と作品』天野知香/著(東京美術)
『アンリ・マティス作品集 諸芸術のレッスン』米田尚輝/著(東京美術)
『美の20世紀 5 マティス』パトリック・ベイド/著 山梨俊夫・林寿美/翻訳(二玄社)
『「マティス展」完全ガイドブック (AERA BOOK)』(朝日新聞出版)
『名画への旅 第22巻 20世紀Ⅰ 独歩する色とかたち』南雄介・天野知香・高階秀爾・高野禎子・太田泰人・水沢勉・西野嘉章/著(講談社)
『西洋美術館』(小学館) 他