「旅」がマティスに与えたもの
第1回で紹介した《豪奢・静寂・逸楽》がシニャックと南仏サン=トロペで過ごしたことで生まれ、《帽子の女》《生きる喜び》がアンドレ・ドランと過ごしたコリウールで生まれたように、マティスは芸術家たちとの出会いと「旅」よって次々と作風を変化させていきました。代表的なものを紹介しましょう。
《青いヌード—ビスクラの思い出》(1907年)は、1906年に旅行した北アフリカ・アルジェリアのビスクラでスケッチした植物が描かれていることからこの画題が付けられました。「横たわる裸婦」というテーマは美術史において脈々と続いてきましたが、ここではアフリカ的な女性ということで、レイシズム(人種を差別し、一方の人種に優越性を認めようとする人種主義)として批判もされます。しかし、このような多様性のある裸婦像を描いたこともマティスの特徴です。
19世紀、帝国主義的な社会的状況もありフランスではオリエンタリズムが興り、20世紀に入ってもその影響がありました。1912年、43歳のマティスも二度にわたってモロッコのタンジールに長期滞在して制作活動をしました。ドミニク・アングルやウジェーヌ・ドラクロワなどの画家たちもモロッコを訪れ、作品を残しています。フォーヴの仲間シャルル・カモアン、マルケ、ヴァン・ドンゲンなどもモロッコに赴き、マティスの1年後にはスイスの画家パウル・クレーも同地を訪れています。
マティスはこのモロッコ滞在で静物画のほか民族衣装の男女や風景画を描き、これまでと作風を変えています。代表作が「モロッコ三部作」と呼ばれる三連画(1912-13年)で、左から《窓から見た風景》《テラスにて》《カスバの門》という作品です。
祭壇画のような三連画という形式をとり、一見関係ないようなモロッコの風景を合わせつつ、色面と色面が幾何学的な構成になっているという、たいへん奥深い作品です。
ブルーやピンク、グリーンといった透明感のある穏やかな色使いで、奥行きを希薄化させて感じさせないという平面的な描写、抽象化した光の表現など、モロッコで描いた作品群はマティスが新しい局面を迎えたことを感じさせます。
「モロッコ三部作」は帰国後に開いた展覧会で、ロシアのイワン・モロゾフが購入しました。
このほかイタリア、スペイン、ドイツ、イギリス、アメリカなど欧米諸国のほか、モスクワ、タヒチなど世界各地を巡ったマティスは、旅で刺激を受け、自らを成長させました。
参考文献:
『マティス 画家のノート』二見 史郎/翻訳(みすず書房)
『マティス (新潮美術文庫39)』峯村 敏明/著(新潮社)
『もっと知りたいマティス 生涯と作品』天野知香/著(東京美術)
『アンリ・マティス作品集 諸芸術のレッスン』米田尚輝/著(東京美術)
『美の20世紀 5 マティス』パトリック・ベイド/著 山梨俊夫・林寿美/翻訳(二玄社)
『「マティス展」完全ガイドブック (AERA BOOK)』(朝日新聞出版)
『名画への旅 第22巻 20世紀Ⅰ 独歩する色とかたち』南雄介・天野知香・高階秀爾・高野禎子・太田泰人・水沢勉・西野嘉章/著(講談社)
『西洋美術館』(小学館) 他