「野獣」と呼ばれるまで

 1896年以降、マティスはソシエテ・ナショナル・デ・ボザール(国民美術協会)のサロンに作品を発表し、準会員にも選出されます。

 この頃、ブルターニュやコルシカなどを旅行したり、さまざまな画家と交流したりしたことで、印象派やゴッホ、ゴーガンなどから影響を受け、その技術を学んでいます。1897年には画家であり絵画蒐集家のギュスターヴ・カイユボットの印象派のコレクションが公開され、マティスはカミーユ・ピサロとともに見に行きました。これに影響を受け、その年のサロンに出品した《食卓》(1896-97年)には、印象派の影響が見て取れます。師モローの勧めで取り組んだ初めての大作でした。

《食卓》1896-97年 油彩・カンヴァス 100×131cm 個人蔵

 また、マティスは大好きなポール・セザンヌの小さな水浴図を、結婚指輪を売って手に入れ、心の支えにしていたそうです。1900年前後に描いた裸体画は、セザンヌの影響が顕著です。さらに同時期の裸体立体彫刻にはロダンの影響があるといったように、この時期マティスは同時代の画家からも多くを吸収していきました。

 そんなマティスが大きく画風を変えたのが《豪奢・静寂・逸楽》(1904年)です。タイトルはボードレールの詩集『悪の華』にある詩の一節からとったものです。1904年の夏、新印象派のポール・シニャックの南仏サン=トロペの家で過ごしたマティスは《サン=トロペの風景》という制作をしました。それをもとに新印象派の手法である点描を用いてこの作品を完成させます。

《豪奢・静寂・逸楽》1904年 油彩・カンヴァス 98.5×118.5cm パリ、オルセー美術館

 印象派をさらに進めた新印象派は純色で細かい点を重ねて願いていく点描主義で、その代表者がジョルジュ・スーラです。スーラを継いだシニャックと出会い、新印象派の影響を受けて描いたのがこの作品です。ここにはセザンヌや新印象派のアンリ=エドモン・クロスなどの影響も見えます。「サロン・デ・アンデパンダン」という無審査の展覧会に出品したのち、この絵を評価したシニャックが購入しました。

 翌1905年夏、マティスは友人のアンドレ・ドランとともにスペイン国境近くの港町コリウールで過ごし、コリウールやその後パリで描いた作品を「サロン・ドートンヌ」(無審査の展覧会)に出品します(サロンについては、次回、解説します)。

 そのなかの1点《帽子の女》(1905年)は、夫人をモデルにした作品です。荒々しい筆遣いと強烈な色彩で、固有色にとらわれず髪の毛を赤、鼻筋を緑といったように人物とは関係のない色面で構成しています。同時期に描かれた《緑の筋のあるマティス夫人の肖像》(1905年)も夫人がモデルで、鼻筋を緑で描き、オレンジとグリーンという補色関係の強烈な色による背景の作品です。両作品はまさに「色彩の解放」という表現がふさわしいでしょう。

《帽子の女》1905年 油彩・カンヴァス 80.6×59.7cm サンフランシスコ、サンフランシスコ近代美術館

 この展覧会がきっかけとなり、《コリウールの港に浮かぶ船》などを描いたドラン、《運河船》などを描いたヴラマンクら仲間ととともに「フォーヴ(野獣)」と呼ばれることになります。批評家ルイ・ヴォークセルが、同じ部屋に激しい色調の作品が集められたことを「フォーヴ」と形容したのでした。

 文芸誌『ジル・ブラス』(1905年10月17日号)には次のようなヴォークセルの強い非難の言葉が掲載されています。

「部屋の中央には、アルベール・マルケの子供のトルソ像がある。上半身だけを見せたこの像の素朴さは、生のままの色の狂宴の真ん中にあって人目を驚かせる。それは、フォーヴ(野獣)に囲まれたドナテッロだ・・・」

 マティスらは自己主張のために、自然の色と形を思うままに変える権利を主張し、芸術性の追求のために制作される純粋絵画(=ファインアート)を生み出す芸術活動を目指しました。この色彩の対比やヴァルール(色と色との相関関係から生まれる色彩効果や質感)といった、色彩のバランスや力学による色の復権ともいえる彼らの表現運動が「フォーヴィスム」です。

 しかし、マティスはじめ芸術家たちは徐々に作品の形態を変えていき、数年後にはそれぞれの方向へ進むことになります。彼らは一定の主義や主張があったわけではないので、「フォーヴィスム」は一時期的な現象で終わりますが、今までの常識を打ち破るような新しい表現は、美術史において大きな役割を果たしました。

 この時期のマティスの代表作に《生きる喜び》(1905-06年)があります。セザンヌ的なモチーフを用い、影響を受けているところもありますが、完全にセザンヌから抜けだしています。当時、大批判を受けた大胆な色彩と空間の歪みなどの表現は、フォーヴから一転、新たな境地を示す作品となっています。

《生きる喜び》1905-06年 油彩・カンヴァス 176.5×240.7cm フィラデルフィア、バーンズ財団

 

参考文献:
『マティス 画家のノート』二見 史郎/翻訳(みすず書房)
『マティス (新潮美術文庫39)』峯村 敏明/著(新潮社)
『もっと知りたいマティス 生涯と作品』天野知香/著(東京美術)
『アンリ・マティス作品集 諸芸術のレッスン』米田尚輝/著(東京美術)
『美の20世紀 5 マティス』パトリック・ベイド/著 山梨俊夫・林寿美/翻訳(二玄社)
『「マティス展」完全ガイドブック (AERA BOOK)』(朝日新聞出版)
『名画への旅 第22巻 20世紀Ⅰ 独歩する色とかたち』南雄介・天野知香・高階秀爾・高野禎子・太田泰人・水沢勉・西野嘉章/著(講談社)
『西洋美術館』(小学館)         他