妻の姦通を知り心中にも失敗。失意の最中、『二十世紀騎手』の副題「生まれて、すみません」が盗作だとする剽窃(ひょうせつ)事件が起こり、さらに太宰は追い詰められてしまいます。
文=山口 謠司 取材協力=春燈社(小西眞由美)
繰り返す自殺と心中、そして剽窃事件
前回、少し触れたように太宰は何度か死のうとしています。
芥川龍之介の自死から2年後、高等学校在学中の20歳の時に、馴染みの芸者紅子(小山初代)と、カルモチンという鎮静催眠剤を大量に飲んで心中未遂事件を起こします。
その翌年、東京帝国大学に合格して上京した太宰は、11月、銀座の女給・田部シメ子と鎌倉七里ヶ浜でカルモチン自殺を図り、シメ子は死んでしまいます。その5年後の1935年にはひとりで縊死を図り、1937年には初代の姦通を知ったことからカルモチン心中を図りました。太宰がパビナール中毒治療のため入院したり、第3回芥川賞の落選という出来事が起こったりするなか、初代は姦通を犯したのです。
心中を図ったのちふたりは別居し、太宰はしばらく無為の日々を過ごすことになります。そしてこの年の12月、『二十世紀騎手』が刊行されます。
生きて行くためには、パンよりも、さきに、葡萄酒が要る。三日ごはん食べずに平気、そのかわり、あの、握りの部分にトカゲの顔を飾りつけたる八円のステッキ買いたい。失恋自殺の気持ちが、このごろになってやっと判ってまいりました。花束を持って歩くことと、それから、この、失恋自殺と、二つながら、中学校、高等学校、大学まで、思うさえ背すじに冷水はしるほど、気恥ずかしき行為と考えていましたところ、このごろは、白き花一輪にさえほっと救いを感じ、わが、こいこがれる胸の思いに、気も遠くなり、世界がしんとなって、砂が音なく崩れるように私の命も消えてゆきそうで、どうにも窮して居ります。からだのやり場がございません。私は、荒んだ遊びを覚えました。そうして、金につまった。いまも、ふと、蚊帳の中の蚊を追い、わびしさ、ふるさとの吹雪と同じくらいに猛烈、数十丈の深さの古井戸に、ひとり墜落、呼べども叫べども、誰の耳にもとどかぬ焦慮、青苔ぬらぬら、聞ゆるはわが木霊(こだま)のみ、うつろの笑い、手がかりなきかと、なま爪はげて血だるまの努力、かかる悲惨の孤独地獄、お金がほしくてならないのです。
太宰治 『太宰治全集2』より『二十世紀騎手』(ちくま文庫)
この小説には「生まれて、すみません」という副題がありました。ところがこの副題をめぐって思わぬ事件が起こります。この言葉は剽窃だと訴えられるのです。