取材・文=吉田さらさ
「神戸」という地名に由来する神社
さて9月。まだまだ暑いが暦の上では秋たけなわということで、観光シーズンの到来である。今回は、一度はじっくり歩いてみたい神戸にある生田神社をご紹介しよう。
神戸と言えば、港の風景 六甲山からの夜景、異人館巡り、南京町の豚まん、洋菓子やパンの食べ比べなど見どころが満載だが、その中に、ぜひこちらの神社も加えていただきたい。何しろ「神戸」という地名は、この神社に由来するのだ。
昔、生田神社に租税を納めていた周辺の家を「神戸(かんべ)」と呼び、それが変化して現在の神戸(こうべ)になった。ちなみに「神戸」という地名は他の地方にも多くあり、読み方は「かんべ、かみと、ごうど」などさまざまだが、いずれも、もともとその地の神社の所領であったことを表す場合が多い。
現在も生田さんは市民の心のよりどころであり、それを体現するかのように、神戸を代表する繁華街、三ノ宮に鎮座している。JRの三ノ宮駅、私鉄各線三宮駅から徒歩10分ほど。「いくたロード」と呼ばれる賑やかな繁華街を歩いて行く。立ち並ぶ店々には神社的な要素はほぼないが、実はこれが生田神社への参道で、まっすぐ行った先にまずは白木造りの第二鳥居、続いて朱塗りの鳥居が聳えている。
第二鳥居は伊勢神宮の内宮本殿の棟持柱だったヒノキ材で作られている。この鳥居は白木になってから二代目で、その前は石造りだった。その石の鳥居は1995年1月の阪神淡路大震災で倒壊し、やはり伊勢神宮の古材を使って白木の鳥居として再生したのである。復興のシンボルとして市民に親しまれたが、黒ずみなどが目立つようになったので、震災から20年の節目に当たる2015年に再建された。
引き続き楼門をくぐると、立派な拝殿と本殿がある。御祭神は稚和女尊(わかひるめのみこと)。若く瑞々しい日の女神で、天照大神の幼名とも和魂(同じ神の優しく穏やかな霊力)とも妹神とも言われる。いずれにせよ、美しくて素敵なお姿が想像される。社伝によれば、西暦201年、かの神功皇后が三韓外征の帰り道に、神戸沖で船が進まなくなったため神占を行った。すると稚和女尊が現れ「わたしをこの地に祀れ」というご神託があったのだという。
その後現在に至るまで、この神社はいくたびもの倒壊と再生を繰り返してきた。当初は、現在のJR新神戸駅の奥にある布引山に祀られていたが、水害による山塊崩落のおそれがあったため、現在の生田の森に遷された。その後も数々の災害に遭ったが、昭和になってからも、1938年の大洪水、1945年の大空襲で大きな被害を受けた。
阪神淡路大震災による本殿倒壊の写真もたいへんショッキングだったが、その翌年には早くも祭などの行事を再開。豆まきにはロックミュージシャンのシンディ・ローパーも参加し、神戸再生を祈願してくれたという。そのかいあって、わずか1年半後には異例の速さで再建。現在の華麗な本殿が姿をあらわした。そんな経緯でこちらは、「蘇りの社」としても信仰を集めることとなったのである。現在、何らかの事情で落ち込んでいる方は、ぜひこちらでお参りし、再生パワーをいただいてほしい。