女性像から人となりが見えてくる
自画像に次いで、シーレが好んだテーマが女性像だ。シーレは1911年から1915年までワリー・ノイツェルと同棲生活を送り、彼女をモデルに多くの作品を制作した。ワリーはシーレを献身的に支えるが、シーレは彼女を裏切ってしまう。ワリーが母子家庭育ちだったことを問題視し、結婚相手には良家の子女エーディト・ハルムスを選んだのだ。なんという、ひどい仕打ち。
さらにシーレはエーディトと結婚する際、ワリーを呼び出し、「これからも毎年夏にはバカンスを共にしよう」と伝えるが、ワリーは拒否。その後、ワリーは赤十字の看護師になるが、1917年に猩紅熱を患い、他界してしまう。展覧会には、ワリーをモデルにした《悲しみの女》が出品されている。彼女の後ろに小さく描かれたシーレの顔。ワリーの悲しいエピソードを知ると、シーレの顔が忌まわしく見えてくる。
シーレは、数は少ないものの風景画も残している。《吹き荒れる風の中の秋の木(冬の木)》は、灰色の空に覆われた大地に立つ1本の木を描いた作品。画面いっぱいに細い枝が這いまわり、あたかも末梢神経を写したレントゲン写真のよう。心地よさはまったくなく、見続けていると不安な気持ちになっていく。この木は、シーレ自身の姿なのだろうか。風景画もシーレにとっては、自画像のひとつの手法なのかもしれない。
1918年、世紀末ウィーンを駆け抜けた天才画家エゴン・シーレは28歳で他界。流行していたスペイン風邪を患ってのことだった。展覧会では、シーレの油彩画やドローイングなど50点を展示。さらにクリムトやココシュカ、ゲルストルら同時代の画家の作品も合わせて紹介されており、ほかの画家と比較しながら、シーレの天才性や“狂気”ともいわれる世界観をあますところなく知ることができる。才能とは何か、そして群を抜く才能をもつことは幸せなのか。そう考えさせられる展覧会だった。