4. 覚醒期:苦悩を経た後の覚醒と解放を語るリベンジドレス

 ダイアナの覚醒を示す転機は、1994年の6月に訪れる。サーペンタイン・ギャラリーのパーティ―に出席する際、ボディラインがはっきりとわかる黒のオフショルダーのミニドレスで颯爽と車から降りた。肩まで開いた胸元には、あの勝負ジュエリー。

1994年6月、サーペンタイン・ギャラリーのパーティ―に出席するダイアナ妃 写真=Stewart Mark/Camera Press/アフロ

 この日は、チャールズ皇太子(当時)が不倫を告白するテレビ番組がオンエアされる日だった。しかし、この鮮烈なドレスの効果で、メディアの注目はダイアナ妃に集中、翌日の新聞は一斉にダイアナ妃を一面でとりあげた。チャールズに関しては隅の方で小さく「統治者不適格」と書かれた。

 ギリシアのデザイナー、クリスティーナ・スタンボリオンによるこの黒いドレスには短いけれどトレーン様の装飾もついており、そのため、ダイアナ妃がヴァージンロードならぬフリーダムロードを歩く「結婚生活の終わりを祝うヒロイン」にも見えて鳥肌が立った。王室以外のほぼ全世界が、新生ダイアナに魅了された決定的な瞬間に着用されたこのドレスは、「リベンジドレス」と呼ばれ、ダイアナ妃を語るときに不可欠な一着となる。

1994年11月のダイアナ妃、ロンドンのホテル・ザ・リッツ前で。髪型が大胆になっている。「私はもう(王室ではタブーだった)黒いドレスだって自由に着ることができる」というダイアナ妃なりのメッセージを伝えている 写真=Richard Gillard/Camera Press/アフロ

 この時期のダイアナ妃は占い師に頼ったりアロマに凝ったりと、心の傷は癒えていなかったようではあるが、同時にフィットネスにも力を入れている。ジムに通う時のスポーティーなショーツとスニーカーのスタイルは、その後の「アスレジャー」ブームの先駆けとなっている。

1994年のダイアナ妃。アメリカンな星条旗柄のオーバーサイズのシャツとショートパンツは元祖アスレジャースタイル 写真=REX/アフロ

 ジムで磨きをかけたボディラインを出し、女性としての美しさをアピールすることで、ダイアナ妃は自身を奮い立たせていたようにも見える。178㎝の長身で着こなす露出多めの一連のドレスは、世界からの絶賛を浴び、元夫とその不倫相手をかすませることに貢献するという意味で、リベンジの役割は見事に果たした。

ダイアナ妃ルックブック』の著者であるエロイーズ・モランは、ダイアナ妃のリベンジに自身を重ね、一連のリベンジルックをインスタグラム@ladydirevengelookで発信しつつ、ダイアナルックを研究することで自らが励まされている。ハッシュタグは#FyouCC (「ファックユー、チャールズ&カミラ」。

 さて、当時のダイアナ妃の「リベンジルック」系のドレスを多く手掛けていたのが、ジャック・アザグリーである。1997年にダイアナ妃が『白鳥の湖』を鑑賞したときに、胸が半分くらい見えるアイスブルーのミニドレスを着たが、あれをデザインしたのがアザグリー。アザグリーがダイアナのためのデザインした5着のセクシーなドレスは、「フェイマス5」と呼ばれている。

 私はアザグリーにもインタビューしているのだが、彼が語ったところによれば、ダイアナ妃は当初、露出が多すぎるのではと心配したという。しかしアザグリーは、「あなたはもっと自分の美しさをアピールすべき」と後押しした。大胆なショートヘアと日焼けした肌で着こなすシンプルなミニドレスは、セクシーというよりも解放感にあふれている。これまでの苦悩を経たからこそ勝ち取られた解放をここに見て、胸が熱くなる。

 ダイアナの物語が多くの共感を得るのは、長い苦悩の後に獲得した自由と解放という、人間の成長に不可欠な覚醒のプロセスを経ているためでもある。

 ちなみに上記の本の著者モランは、ダイアナ妃が数々のリベンジルックによって成長し、自信を得ていく過程に、自分自身を重ね、結婚の破綻から立ち直っていったという。

 ファッションの力が、裏切られ、切り捨てられ、傷ついた心を癒し、自信を回復する後押しをしてくれるということを、ダイアナ妃は身をもって示したのだ。(続く)