続く中津宮は、9世紀に慈覚大師円仁が創建したとされ、弁才天と同一視される市杵島姫命が祀られている。江の島エスカーはこの先にある山頂部まで行くが、そこから先は歩くしかない。
右側に観光施設の江の島シーキャンドルが見えたら、左側にも注目。朱塗りの厳めしい仁王像に守られた山門の奥に江の島大師というお寺があり、本堂内部に6mを超える巨大な不動明王像が祀られている。本堂内は自由に拝観でき、時間が合えば護摩供養にも参加できる。お不動さんに叶えて欲しい願いごとがある人は、ぜひ立ち寄ってみよう。
ゴールを目指してまだまだ歩く。途中にたいへん珍しい群猿奉賽像庚申塔という石碑がある。庚申塔は関東各地でよく見かけるが、36匹もの猿が踊ったり芸をしたりする姿が彫られたものは他に類を見ないので、石の神仏像ファンの方はお見逃しなく。
さらに歩くと、ようやく三つ目の宮、多紀理比賣命が祀られる奥津宮に到着。多紀理比賣命は三女神の中の長女で、海を守る女神である。拝殿の天井に描かれた「八方睨みの亀」も見所だ。めでたく三女神へのお参りを終えたら、お隣の龍宮(わだつみのみや)へ。実はここからが江の島の核心部である。
龍神信仰と弁天信仰が習合した江ノ島信仰
歴史をさかのぼると、江の島はもともと龍神信仰の地であった。伝説によれば、鎌倉には昔、五つの頭を持つ龍がいて悪行を重ねていたが、そこへ美しい天女が舞い降り、龍を諭して悪行をやめさせたという。この天女の天下りとともに出現したのが江の島で、天女は江島神社に奉られる弁才天だ。
龍神はめでたく天女を妻にし、その後は善行を施すようになったが、やがて江の島の対岸にある龍口山に姿を変えたという。これにより龍神信仰と弁天信仰が習合し、江ノ島信仰となった。
奥津宮から崖を下って海に降りて行くと「岩屋」と呼ばれる洞窟があり、その奥に江の島弁才天信仰の発祥の地がある。古くは多くの高僧や武将がここに籠って祈願を行った。しかし夏の間は洞窟に海水が入ってしまうので、ご神体を崖の上の奥津宮に遷していたということだ。
その隣にある龍宮は崖下の洞窟内にある岩屋本宮の真上に当たる場所で、平成5年に崇敬者によって建てられたものだ。祭神は龍宮大神。新しい宮ではあるが、龍神パワーに満ちた人気スポットとなっている。
最後に岩屋に向かう。なかなか険しい崖下りだが、階段があるので大丈夫。降り切ったところは太平洋の大波が押し寄せる岩場で、岩屋の入り口までの道が整備されている。富士山の氷穴に通じているとされる第一岩屋と龍神伝説の地といわれる第二岩屋があり、昔の人々の信仰の名残と思われる石仏も数多くある。
江の島は全体が異世界的な場所だが、岩屋内はとりわけ神秘的な異空間である。パワーを放つ龍神様にもお会いできるが、それについては、実際に行って確かめていただきたい。