観光の再始動と京都のジレンマ
いま、この「ややこしい」街はある種の緊張感に包まれている。
もちろん誰よりも観光客の帰還を待ちわびているのは観光の現場に立つ人々である。しかし、彼らにも一抹の不安はある。コロナ禍による観光の空白はあまりに長かった。かつて世界中から次々とやってくる多様な旅人たちを手際よくさばいていた頼もしい手練れのスタッフたちも、その多くが観光の現場を去ってしまった。
人手不足はいまや日本社会全体の課題となりつつあるが、急速な需要回復を目前にした観光業界においてはよりひっ迫した問題である。「インバウンドが帰ってくるといっても、以前のようなレベルで受け入れることができるかどうか」そんな不安を口にする関係者は多い。
しかし、なによりもいま京都で暮らす多くの人たちを不安にさせているのは、現役市長による「お宿お断り」宣言が飛び出すほど市民が追い詰められたオーバーツーリズムの記憶であろう。
観光地の大混雑はもちろん、迷惑民泊の増殖、舞妓パパラッチ、市バスなど交通機関の麻痺、「お宿バブル」といわれた乱開発による地価の高騰とそれによる人口流出・・・。2020年の2月にコロナ禍が海の向こうからこの国に到達する、まさにその瞬間までこの街は世界中から押し寄せる観光客に翻弄されていた。
観光都市としての京都の歴史は数百年におよぶ。春には桜、秋には紅葉を目当てに多くの観光客が集まることなど、『徒然草』の時代からこの街の人々は折り込み済みである。しかし、そうやって数百年間にわたって観光客を迎えてきた京都人にとってさえも、コロナ直前の京都は「まるで悪夢だった」と振り返るほどの異常事態だったのである。
またオーバーツーリズムは単に地域住民の生活に悪影響を与えるだけにとどまらない。たとえば、過当競争化による安売り合戦の加速は「安かろう悪かろう」という観光商品の劣化を招くことになり、さらに「どこにいっても人混みしか見えない」という過剰な混雑は観光客の満足度にも確実に悪影響を及ぼしていた。そのため増え続ける外国人観光客に対して、リピーターである日本人の「京都ばなれ」がひそかに進行していたことも指摘されている。
つまり、観光客で溢れかえる「パンクする京都」は、一般市民はもちろん観光業関係者にとってもさえも取り戻したい過去ではないのだ(参照:中井治郎『パンクする京都 オーバーツーリズムと戦う観光都市』2019 星海社)。
観光客がいなければいないで困るのだが、またあの「悪夢の日々」が繰り返されてはたまらない。いま、観光客の帰還を迎える京都人を悩ませるのはそんなジレンマである。