国宝の本殿がある吉備津神社
続いて吉備津神社に向かう。神体山の山中にも、吉備津彦神社の元宮磐座、古墳など面白げなものがどっさりあるが、本日の目的は初詣だ。それらは次回たっぷり時間があるときに訪問することとして、「吉備の中山みち」と呼ばれる山麓の道を歩いて行く。すると、30分ほどで吉備津神社に着いた。おお、これは見たこともないほど広大で立派な神社ではないか。
特筆すべきは国宝の本殿拝殿だ。京都の八坂神社に次ぐ大きさの大建築で、「比翼入母屋造」と呼ばれる独特の屋根が特徴である。入母屋造の二つの屋根を一つの大きな屋根で結合したもので、全国でも唯一の構造であるため「吉備津造」とも呼ばれる。
360mにも及ぶ回廊も、ゆっくり歩いてみたい。一直線だが、自然の地形そのままの上に建てられているため微妙な起伏があり、それがまた独特の趣きを添えている。その中ほどを右に折れると、御釜殿と呼ばれる建物がある。ここは、吉備津彦に討伐された温羅に由来する有名な神事「鳴釜神事」が行われる場所だ。
「鬼」を退治しても終わらなかった物語
ここで簡単に吉備津彦の温羅征伐のストーリーを紹介する。温羅は鬼のような形相の巨人で、住民の物を奪ったり人を釜茹でにしたりの悪行を繰り返したため、朝廷は吉備津彦に討伐を命じた。
激しい闘いがはじまったが、二人の射る矢はことごとくぶつかって落ちてしまう。そこで吉備津彦は一計を案じ、同時に二本の矢を放った。すると一本の矢は温羅の矢に当たって落ちたが、もう一本の矢は温羅の目を射抜いた。目からは血がどくどくと流れ、血吸川という川になった。温羅はキジに姿を変えて逃げ、吉備津彦は鷹になって追いかけた。温羅は鯉になって自らの血が流れる血吸川に逃げ込んだが、吉備津彦は鵜になってこれを捕まえ、ついに温羅の首をはねた。ここまでは、なかなか血なまぐさい物語である。
桃太郎のお話は鬼を退治してめでたく終わるが、吉備津彦と温羅の物語はまだ終わらない。温羅の生首が、死してもなお、うなり続けたのである。骨になってもまだうなるので、頭蓋骨をかまどの下に埋めたところ、吉備津彦の夢に温羅があらわれ、「わしの妻に、この釜で神饌を炊かせよ。幸福が訪れるなら釜はゆたかに鳴り、不幸が訪れるなら荒々しく鳴るだろう」と告げた。つまり、釜を炊き、その時鳴る音で吉凶を占うということだ。
これが鳴釜神事の始まりである。この神事は現在も行われており、一般の人も希望すれば受けることができる。詳しくは神社まで問い合わせを。
このことからもわかるように、温羅は、桃太郎の鬼と違って単なる悪役ではない。大和朝廷に従わなかったため討伐されたが、本当は吉備の人々に慕われ、穏やかに統治をしていた可能性もある。
出自には諸説あるが、実は百済から来た渡来人で、製鉄など先進の技術をこの地に伝えたとも言われている。吉備津彦神社の境内に温羅神社があるのは、そんな温羅に感謝し、その霊を慰めるためであろう。おとぎ話と違って、歴史には単純な勧善懲悪では割り切れない部分がある。そしてそれは、時に少し悲しい。