パプリカ色に染まる川魚のスープ
ハラース通りにある魚料理の店に立ち寄る。
ハンガリーは周囲をスロバキア、オーストリア、スロベニア、クロアチア、セルビア、ルーマニア、ウクライナの7カ国に囲まれた内陸国だ。食文化としては肉が中心となる。国宝に指定されたマンガリッツァ豚はその代表だ。どんぐりを食すなど、イベリコ豚に似たとろりと濃厚な味わいのマンガリッツァだが、地元では高価なこともありそれほど食べられていない。一方で、ドナウ川や点在する湖で獲れる川魚は昔から貴重な食材だった。
名物は川魚のスープだ。スープ鍋の中はパプリカ色に染まっていて、適度に煮込まれた柔らかな白身が口の中でほろりと崩れ落ちる。ドナウの滋養がつまった逸品だ。鍋の底が見える頃、オーブンから運ばれたティサ湖産トラウトのアーモンド焼きの香ばしさに、しばし食堂は包まれた。
中心部をあてもなく歩いていると、路面店が並ぶ、パサージュの趣ある路にさしかかった。珈琲店Kontaktの店主にきくと、若者が仕事やランチで訪れ、夕暮れになると一杯やるエリアだという。カフェの隅ではマックブックを開いた学生が小難しい顔で論文らしきものを書いている。まるまるとした柴犬をつれた夫婦が散策をしていた。焙煎された豆の香りが木漏れ日と混ざりあい、路地の一角にゆらゆらと漂っていた。
ルダシュ温泉に染み付いた日常の風景
地元民が奨めてくれた温泉があった。ルダシュ温泉。オスマン・トルコの支配下にあった16世紀に作られた浴場だ。当時は男性しか入浴しておらず、現在も月、水、木は男性、火曜と金曜午後は女性と入浴日は分けられている。
3800フォリント(約1400円)を払い中に入ると、更衣室に教会の懺悔室のような木製のキャビンが並んでいる。その先にある地下浴場は薄暗かった。白いふんどしの男たちが湯気の中にちらつく。8本の柱で支えられたドーム状の天井の下で、彼らはじっと湯に浸かっている。雅なゲッレールトとは流れる空気が違う。ここはブダペストの民が疲れを癒やしにくる湯屋なのだ。
ひときわ湯気立つ、42度の湯槽があった。欧州では36度程度が普通だが、常連なのだろう、平気な顔で浸かる強者たちがいる。水風呂と交代浴をする白髪の老人が、飲用の蛇口から出てくる湯を飲み、また浴槽へと戻ってくる。
古い湯気の記憶がくすんだ壁に染みつき、そのまま時を重ねている。飾ることなくただ湯を流し続けてきた、過去と現在の調和を感じるこの場所で、男たちは湧き出てくるものを全身で享受していた。
施設内の休憩所では火照った顔の中年男が集まりビールを飲んでいた。銘柄はボルソディ。大衆のラガーだ。あっという間に飲み干し、ひとり、またひとりと家路につく。翌日の夕暮れにも、同じ光景が繰り広げられることだろう。
ブダペストの若者たちと
博物館通りの飲み屋、Csendes Létteremは混んでいた。
ルダシュの男たちが飲んでいたボルソディがなかったので地元のIPAを注文し待っていると、大学生の二人組が話しかけてきた。片方は太っていて、片方は痩せていた。ふたりとも流暢な英語を話す。そして東欧の多くの大学生がそうであるように、彼らは外国に興味があった。
アジアの歴史を学んでいるんだ、と大きな方は言った。いつか外国で仕事をするために学んでいるんだ、と小さな方は言った。
ブダペストで見たものについて話すと、彼らはうんうんとうなずき、それでも首をすくめる。
「ブダペストもいいけど、もっと刺激がほしいんだ。ロンドンやパリ、ベルリンもいいな、とにかく外に行きたい。できるだけ早いうちに」
初めてブダペストを訪れたのは、彼らと同じくらいの年齢の頃だった。忘れかけた外の世界への憧れを思い出す。
すでに日付は変わっていた。帰り際に会計をしようとすると、彼らはこの場はどうしても奢ると言ってきかなかった。いいよ、せっかくこんなところまで来てくれたんだから。
かくしてブダペスト最後の夜は、野心を秘めた、親切な現代の大学生に酒をおごってもらい幕を閉じた。
深夜の自由橋を渡る。若者たちが橋の真ん中に座り、遠くに見える鎖橋を眺めていた。橋の上から橋を眺める、川の都ならではの光景だ。彼らはこの街に想いを馳せているのだろうか。それとも胸にあるのは、ここではないどこかのことだろうか。
目の前の分厚い鉄橋に触れると、ひやりとした夜の冷たさが伝わってきて、この街で生き続けた老人たちと浸かった熱い湯がすでに恋しくなっていた。