人も微生物もつらい「山卸し」

 そもそも生酛造りとは、蒸米、麹、水を手作業で擦り合わせる「山卸し」という作業を行う。これにより、自然界に存在する乳酸菌を借りて、酒を醸すわけだが、この作業がつらい。夕方、夜、真夜中と4時間ほどおきに数十分ずつ、蔵人たちが桶を囲んで厳寒期の下、エイッエイッと掛け声とともにカイという道具ですりつぶす。

山卸しをする蔵人たち

 この山卸しを行っている蔵は全国の酒蔵でも数少ない。しかも時間を決めず、加藤杜氏が桶の中の状態を見ながら「こんなもんや」というまで続けるという。この作業が、1回の仕込みで2日ほど続く。どれほどキツイのか……。久保さんは生酛造りについて、こう語る。

「生酛造りは、江戸時代に開発された酒造りのレシピです。そこではさまざまな微生物の盛衰が繰り返され、最終的に清酒酵母だけが育つように設計されています。自然淘汰により、弱いものは死に、強いものだけが生き残る。つまり最終的にここで生き残った酵母菌は、少数精鋭。数はひじょうに少ないですが、強い発酵力をもっています」

 人にとっても、微生物にとっても、大変つらい山卸し。この作業を、明治時代になってから省いたのが山廃造りだ。生酛造りと山廃造りの酒はよく混同されるが、久保本家酒造が考える両者の違いは乳酸発酵が始まるタイミングだという。山廃造りでは発酵初期から乳酸発酵が進み、よりはっきりとした酸が表現されやすい。いっぽう、生酛造りでは初期は低温で管理して亜硝酸菌に活躍してもらい、後半から温度を上げて乳酸菌に入ってきてもらうのだという。

 ところでなぜ、にごり酒なのか。久保本家酒造に招かれた加藤杜氏が最初に造った生酛造りの酒は、新酒ならではの渋みや苦みのある“かたい酒”だった。熟成させれば美酒になる。しかし、搾る前の酒である「もろみ」を加えたところ……いける!! 「生酛のどぶ」の誕生の瞬間だった。

 

夏は「どぶソーダ」とスパイシーカレーで

「生酛のどぶ」が凄いのは、炭酸水などで割って飲んでもその旨みがけっして消えてしまわないこと。スパイスとの相性がとてもよい。どぶと炭酸水を半々で割った“どぶソーダ”と、香辛料を効かせたインドカレーとの組み合わせは、暑い夏に最高のペアリングだ。

玉ねぎを飴色になるまで30分ほどじっくり炒めてつくる、インド風チキンカレー。クミン、コリアンダー、クローブ、スターアニスなど20種類ほどのスパイスの複雑な香りと唐辛子の辛さが、こくがあってキレのよい“どぶソーダ”と最高に合う!

 そのほかにもエスニック料理店で提供されたり、タイに輸出されたり、ビールで割ったり、熱燗にしてみりんと醤油のシロップを垂らしたり……と、もはや日本酒の枠を超えた独自の“どぶワールド”が各地で繰り広げられている。

 雑味は少なく、こくがあるのに軽やかさも感じるほどキレがよい。そんな日本の発酵文化が生んだ複雑な旨みをもつ、唯一無二のにごり酒をとことん自由に楽しもう。