文=難波里奈 撮影=平石順一
2020年7月にリニューアルオープン
頭上を走る電車の音にノスタルジックな気持ちが沸き上がる高架下。その場所で長い歳月を重ねてきた「神田珈琲園 神田北口店」。
2018年5月に改築のため一度閉店するも、2020年7月15日にリニューアルオープン。「この場所でないとだめだった」と話して下さったのは、現在三代目を務める八戸建さん。
創業は1959年1月。開店にまつわる質問から波乱万丈なエピソードが飛び出して、思わず前のめりになってしまう。建さんの祖父・雅宏さんは、もともと新橋でジャズ喫茶を営んでいたが、大切なレコードたちは戦争をきっかけに没収されてしまう。
戦後、それらを取り戻すべく、銀座に「クラウン」というクラブを開店。外国人兵士たちが集って賑わう社交場となった。「一歩先ではなく半歩先でないと周りがついてこない」という初代の言葉通り、その後も紆余曲折あり、現在の場所に「神田珈琲園」を開店したのは建さんのお母様である敬子さん(こちらでは割愛するが、途中経過も大変興味深いのでお店に足を運んだ方はぜひマスターから伺ってほしい)。
敬子さんは「珈琲文化を広めたい」という想いから、六本木で屋台の珈琲屋を営んでいた人をスカウトし、珈琲のイロハを学んだ。そして、当時最先端だったであろう自家焙煎を始めた。
また、その頃の日本では映画が流行り出していて、スターを目指す夢を持った若い人たちがあふれていた。彼らを雇ったことで「美人喫茶」と呼ばれた時代もあった。のちに敬子さんと結婚することになる建さんのお父様はお店のアルバイトだったという微笑ましい話も。
現在も使用されている「三友食品」という屋号は、創業当初から苦楽を共にした珈琲の達人・鈴木利昭さんと敬子さん、お父様の3人が「いつまでも友達でいられるように」、という願いをこめてつけられた素敵なもの。
建さんは、平成元年から店に立ち始めた。経理や経営については指導があっても、珈琲の淹れ方は教えてくれなかったという。自分よりも店の味を知っている常連たちを意識して「美味しくなければいけない」とプレッシャーに悩まされた日々。そんな建さんもすっかり店の顔となってずいぶん経過した。
現在は「珈琲を通じて全ての人たちを笑顔にする」をコンセプトに、訪れるお客さまはもちろん、働く人たちも笑顔でいられることを大切にしている。「二代目以降は受け継がれてきたことを守りつつも、壊していくというプレッシャーがある。四代目(建さんの娘の星莉南さん)には好きなようにやってほしい」とやさしい眼差しを交わす二人の様子を見ていると、これからもずっとここで美味しい珈琲が飲めそうだ、と明るい気持ちになる。
昭和~平成~令和と時代をまたいだ現在も、ひとときの安らぎをもとめてやってくる人たちと、ずっとこの場所で迎えてくれる従業員が互いに育っていく、多くの人々にとって大切な場所。神田珈琲園の第二幕はまだ始まったばかりだ。