だからこそ気になるが、蒔絵師になるにはどれくらい修行をすればいいのだろうか、ということだ。

 「私の場合は7年修行しました。蒔絵は段階がありまして、まず粉をつけて描いて箱に入れて乾かす。その次の段階になると漆を2度塗って、磨いて光らす。その上になると、盛り上げて、磨いて、光らすんです。そして、その一番上の段階になると、輪島塗でやってるようないい金粉を撒いたりというように、大きく4段階あるんです。これらを終えるのに約7年かかるということなんです」

 当然、一人前の蒔絵師になると、その段階を描き分けられるのだという。

 「たとえば松を描くとしましょう。200円で描けと言われれば描けますし、1000円と言われれば、それ相当の絵が描けます。もちろん10000円でも描けます。これができて、一人前の蒔絵師といえるのです」

フリーハンドで絵を描く森田さん。実際の商品には絵の型を写し、それに沿って描いていくのだが、その高い技術はフリーハンドでも問題ないように見える

越前焼の大きな特徴は鉄色

 そして、最後の訪問先が越前町にある「越前焼工業協同組合」。ここでお会いしたのが越前焼の館事務局長の橋本直視さんと、陶芸家・司辻健司さんだった。

 まずはじめに、越前焼の特徴を司辻さんに解説していただいた。

 「越前焼は鉄色が特徴でして、こんな色をしているんですが、軽くて強度が高いんです。釉薬をかけていないんですが、水をかけても染み込むこともないですし、油を入れても油染みができないくらい鉄分が多い。鉄分が多いから、この色にしかならないんです。これだけ鉄分が多いのは、他では見られないですね。叩くと音も金属音ですし。ここまで焼き締まって、鉄分が多いというのはなかなかないと思います」

薄作りの第一人者、司辻健司さん。まだ若い彼らの世代がこれからの越前焼を牽引していく

 だからなのか、器とともに依頼が来たのが、ペンダント、イヤリングだった。

 「いろんな大きさをつくり、色もいろいろ試したんですけども、最終的に現在の形、色になりました。日本海の雪みたいな散らしと黒いもの。地味なんですけども、この2種類でいきたいと思ってます」

 焼物というのは焼くと縮む。そこを考慮しながら仕上げていく作業はとても大変だと想像できる。実際にはどうだったのだろうか。

 「切れ目を入れて、高さ何センチ、手首入れるところは何センチと決められていました。ご存知の通り、焼くと縮むものですから、なかなかサイズを合わせるのが難しかったです。さらにそのすべてを薄作りで、ということでしたので大変でしたね。焼物は本来もっと厚いものですが、薄く作れる越前の土ならではの特徴を生かしたいということだったので、がんばりました」

素焼き状態のバングル。この後、レーザーで彫って、薬をかけて焼き上げる

薄作りの第一人者

 越前焼のもうひとつの特徴である“薄作り”もこのアクセサリーには欠かせない技術だった。事務局長の橋本さんは「最初は何人かの窯元さんでやろうという話もあった」という裏話を教えてくれた。

 「でも薄作りのテクニックでは、彼が第一人者ですから。技術を持ってないと、ここまで薄くは作れないんです。彼をビームスさんに紹介したら、即決まりました。そこから詳細の打ち合わせに入ったんです」

素焼きの商品が並ぶ仕事場で轆轤を回す司辻さん

 司辻さんは、2年ほど前に腕時計のベゼルの製作もしている。薄く作ること、風防のガラスとは寸分違わぬ大きさでピタリと合わせないと腕時計として成立しない、というなか、その仕事を見事にやってのけたのだ。本当に高度な技術があったからこそ、今回のアクセサリー製作が実現したのである。

 そんな彼でも、最初は自信がなかったという。

 「腕時計の時もそうでしたが、最初はできないだろうって思うのです。アクセサリーは作ったこともないですし、本当にできないと思うんですけども、“とりあえずやってみます”という感じでやってみるんです。組合には“できないかもしれませんよ”と毎回言ってるんです。自信がないですし。厚さのことがなければ楽なんですが、やっぱり薄く作るのは難しいんですよ」

 と言いながら、そこは職人魂が作動し、やってしまう。そうやって、これまでに難題をクリアしてきているのだ。ただ、プロなら当たり前なのかもしれないが、アクセサリーの作り方は「意外と楽」なんだとか。

 「アクセサリーは、まず轆轤でつくって、器を変形させるのです。だから楽なんです。バングルもコップをまっすぐに作って、それを樽状に切っていく。丸くお皿にすると真ん中から変形していくので、すべてのベースを器にしました。そこからカットしていくという感じです」

アクセサリーは、まず轆轤でコップなどをつくって、その器を変形させたもの

 出来栄えには満足しているというアクセサリー。どういう想いで送り出そうとしているのか。

 「たぶんこのアクセサリーは見たことはないと思いますので、手に取った時の焼き物の質感とか触り心地とかを味わってもらいたいです。越前焼でアクセサリーもできると知ってもらい、僕としてはすべて器からの変形なので、器を身につけてる感覚でいてもらえたらな、という思いはあります」

試作品の最終形と素焼きのバングル。今回の商品は、雪のような散らしと黒の2パターンだ

 そんな越前焼も高齢化が進み、後継者が育っていないという。橋本さんは危機感を持って話してくれた。

 「いま県内に80軒ほど窯元があるんですけど、組合に入っているのは17軒。年齢的にいうと20代は1人しかいない。50、60、70代がほとんどなのです。現在は、ここにも学校があるんです。しかも県などから補助金をもらっているので、月々8万ほどですが、お金をもらいながら学べます。いまは女性しかいないんですが、是非ともきてください」

 切実な想いだろうけど、どこか明るい。それがこの福井県のいいところなのかもしれない。

 

素晴らしい技術、文化が存在する福井

 駆け足ながら、5つの伝統工芸品の現場を見せていただいたのだが、お世辞抜きでどれも素晴らしかった。日本には、まだまだこのような素晴らしい技術、文化が残っているんだと改めて感じた。

 ただ、新幹線開業課の前さんが言っていたように、伝統工芸品=美術品という敷居の高さみたいなものがあるのは確かだ。福井県もそれを少しでも払拭できればという想いなのだろう。

 「いままでの伝統工芸品とはちょっと違うデザイン、アイディア。色が入ったり、形が変わったり。若い人たちに手に取ってもらって、福井県にはいい伝統工芸品があって、行ってみようかな、と思ってもらえれば嬉しいですね。その手段としてビームス店頭販売があるということです」

2月21日には、のんさんも参加してFUKUI TRADの発表会が行われた

 今回、東京から福井県に向かうに当たっては3つのルートが選択肢にあった。ひとつは小松空港から向かう空路を使ったルート。あと2つは鉄道で、北陸新幹線で金沢まで、そこから特急でというものと、東海道新幹線で米原へ、そして特急でというルート。結局、米原経由のルートを選んだのだが、乗り換えなしで行けないもどかしさは確かにあった。いまはまだ、昔あったCMのキャッチコピーではないが「その先の日本」感は否めない。

 しかし2024年春には北陸新幹線の開通によって、東京からも乗り換えなしで行くことができるようになる。「その先の日本」ではなくなった時の福井県にどのような効果がもたらされるのか、また、伝統工芸品がどんな評価を受け、認知度を高められるのか、いまからとても楽しみである。

 

※今回の取材時は、まだ商品が完成していない状態でしたので、商品ラインナップの詳細は、下記リンクより公式HPにてご確認ください。