文=中野香織

2020年6月、7月合併号となる『VOGUE』USA版。『危機の時における創造性』と題し、医療従事者のポートレートやリモート撮影によるグラビアなど、今までにないコンテンツに取り組んでいる

ファッションメディアの未来と「新しさ」の創造

 コロナ禍で出版業界でもリモートワークが標準となり、ファッション誌の中には2~3か月分をまとめて「合併号」とすることで急場をしのぐところも出てきた。モデルやスタッフが密集する撮影も海外取材もままならず、「不要不急」の広告出稿が激減し、商品の流通が止まり書店も営業自粛を余儀なくされるなかで、紙の雑誌を出版することは困難となり、一時休止が選択された形であった。

 ブランドからの広告掲載費に多くを頼るファッション誌は、コロナ前からすでに発行部数を減らし、ウェブ版に力点を移行するところが増えてはいた。コロナ禍による「一時休止」は、ここ数年のファッションメディアをめぐる諸状況を洗い出し、これからのメディアのあり方を考えるための一つの機会にもなったのではないかと思う。

 

ファッション誌が低迷した理由

 20世紀には隆盛を誇ったファッション誌の売上部数が、近年、低迷を続けていた理由として、しばしばスマートフォンの普及とSNSの発達が挙げられていた。たしかに、インスタグラムが登場した2010年以降(日本では2014年)、ファッション情報を入手できるチャンネルが格段に増えた。個々のインスタグラマーが発信する情報ばかりではない。ウェブのみで展開するファッションメディアも増加したうえ、紙媒体もデジタル版を展開し、ブランド側も独自のSNSアカウントを通して発信するようになった。つまり、消費者は、プロの目で編集された情報、「素人」の審美眼を通した個性的な表現、商品提供者による直接の発信を、すべて同じ土俵で見ることができるようになったのだ。

 経験を積んだプロのファッション誌編集者と「素人」のインスタグラマーを同列に語るべきではないという議論はたしかにあり、正論である。しかし、広告出稿に多くを依存するファッション誌には、誌面制作において不自由な点があった。たとえば、「C」というブランドと「H」というブランドを同じスタイリングの中で使ってはいけないという広告主からの制約、あるいは広告主への忖度による自己規制である。テキストにおいても広告主の影響力は大きく及ぶ。広告主が触れてほしくない事実に言及するわけにはいかない。プレスリリースに則った表現を使わなくてはならない。出稿額の多いブランド名は他のブランド名よりも「右」「上」(=いちばん先)に登場しなくてはならない、など。

 こうした制約ないし自主規制に沿って誌面が作られる結果、どの媒体も同じようなPRメディアに見えてしまうという弊害を生んだばかりではない。ブランドへの忖度なく個性的な表現が自由にできる「素人」インフルエンサーの発信のほうがリアルで共感がもてるとして、消費者はそちらに信頼あるいは親近感を覚えるようになった。ブランド側にしても、フォロワーの数が雑誌発行部数よりも多いインスタグラマーに投資したほうが、対費用効果がはるかに高いことに気づく。そもそも、自社アカウントで直に発信をおこなうことにより、ブランドのアカウントそのものがインフルエンサーとして機能し始めた。

 さらに言えば、新作を中心としたコンテンツ作りそのものが、消費者の需要と乖離していった。ファッション業界内部のトレンド基準などあずかり知らぬ一般の消費者は、「新作」を着る必要も知る欲望もほとんど感じていない。とりわけ、Z世代やミレニアルズは、中古市場で、再販を前提に古着を購入することに魅力を感じていたりする。

 となると、コロナ前のような広告本位の均質化したファッション誌のあり方をこのまま続けるならば、ファッション誌の購買数がさらに落ち、広告収入も見込めなくなるという厳しい時代が到来することは避けがたくなる。

 

「未来に移行中」のファッション誌

 だからといってファッション誌が消滅するかといえば、そうは思わない。
もちろん、ファッション誌というジャンルの中には細分化されたサブカテゴリーが多々あり、ひとくくりにするわけにはいかないのだが、たとえば今回、話を紙版のモード誌に絞って考えてみよう。

 紙版とウェブ版の最大の違いは、表紙の存在感である。コロナ禍の暗いトンネルの中にあって、「いま、わたしたちはどのような時代に生きているのか」をもっとも鮮やかに示し、次の時代への希望を見せてくれたのは、各国の「ヴォーグ」の表紙であった。